当ブログが「優勝する!」と絶叫していた本命・健大高崎の名前も知らなかった人が多かったことでしょう。
三番・脇本の名前も全国に知られることとなりました。
当ブログもここまで走りまくるとは思っていませんでした。脚でここまで話題になったチームは1931年の嘉義農林以来でしょう。
当ブログが期待した群馬県二連覇はなりませんでしたが、二連覇以上のインパクトを残して健大高崎が甲子園を去りました。
東日本の時代は単なる偶然ではありません。地元に密着した少年野球からの地道な努力が結実してきた結果です。西の人たちも、心してかからないと東日本の時代は終わりまんよ。因みに筆者は、本籍が大阪で生まれは神戸、親戚は全員が関西人という環境です。千葉県市川市で育ちましたので、親戚中で唯一関西弁を話しませんが(笑)。したがって、関西のDNAと関東のアイデンティティーを有しています。関西野球の強さは骨の髄まで理解していますが、現在の流れが続く限り、東日本の時代を主張し続けます。
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