2012年7月22日日曜日

15年 ライオンvsタイガース 2回戦


4月10日 (水) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 1 0 0 0 1  0   1   3 ライオン    5勝10敗 0.333 菊矢吉男
0 0 0 0 0 0 0 0 2  0   0   2 タイガース 8勝8敗1分 0.500 三輪八郎 若林忠志

勝利投手 菊矢吉男 5勝2敗
敗戦投手 若林忠志 4勝3敗

二塁打 (タ)伊賀上、本堂
三塁打 (ラ)鬼頭2

勝利打点 加地健三郎 1


加地健三郎決勝犠飛

 タイガース先発の三輪八郎に4回までパーフェクトに抑えられてきたライオンは5回、先頭の鬼頭数雄が三塁に内野安打、菊矢吉男は右飛に倒れるが広田修三の二ゴロをセカンド本堂保次がエラー、加地健三郎の遊ゴロもショート皆川定之がエラーして一死満塁、松岡甲二の三ゴロの間に三走鬼頭が還って1点を先制する。

 ライオンは6回、先頭の玉腰年男が四球で出塁、タイガースはここで先発の三輪八郎を下げて若林忠志を投入する。西端利郎が送りバントを決めて一死二塁、坪内道則は中飛に倒れ、鬼頭が四球を選んで二死一二塁、菊矢は遊ゴロに倒れて無得点。

 7回も無安打に終わったライオンは8回、先頭の山本尚敏が左前打で出塁、トップに返り玉腰年男が送りバントを決めて一死二塁、しかし西端、坪内が連続遊ゴロに倒れて無得点。

 ライオンは9回、先頭の鬼頭が左中間に三塁打、菊矢が右前にタイムリーを放って2-0とする。

 タイガースは9回裏、先頭のジミー堀尾文人が三塁に内野安打、本堂が左中間に二塁打を放って堀尾を迎え入れて1-2、カイザー田中義雄の投ゴロを菊矢が一塁に悪送球して本堂は動けず無死一二塁、松木謙治郎が送りバントを決めて一死二三塁、伊賀上良平は敬遠の四球で一死満塁、富松信彦は二飛に倒れるが若林の遊ゴロをショート松岡がエラーする間に三走本堂が還って土壇場で2-2の同点に追い付く。更に二死満塁のサヨナラのチャンスに山根実に代わって代打に土井垣武がプロ入り初出場するが一ゴロに倒れる。

 ライオンは11回、先頭の鬼頭が右越えに三塁打、菊矢は二ゴロに倒れて広田が四球を選んで一死一三塁、ここで加地健三郎が右犠飛を打ち上げて3-2と勝ち越す。

 タイガースは11回裏、先頭の松木が二塁に内野安打、更にセカンド西端の悪送球が重なって松木は二塁に進む。伊賀上良平の中飛で松木がタッチアップから三塁に進んで一死三塁、富松の二ゴロで松木がホームに突っ込むがセカンド西端からのバックホームにタッチアウト、若林が左飛に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 菊矢吉男は延長11回を5安打3四球4三振の完投で5勝目をあげる。

 鬼頭数雄が4打数3安打3得点三塁打2本。ライオンの得点は全て鬼頭がホームを踏んだものである。これで今季通算60打数20安打3割3分3厘で野口二郎、大沢清と並んで打撃ベストテン三位タイに浮上してきた。


 殊勲の決勝犠飛を放った加地健三郎は公式記録が残っているのは昭和15年だけで通算8打点をあげている。その後10年間の消息は不明であるが、出場記録こそないものの昭和25年の巨人の登録メンバーにその名を見ることができる。今季のライオンでの背番号は20番であったが昭和25年の巨人では27番のようである。









             *菊矢吉男は延長11回を5安打完投で5勝目をあげる。











*延長11回の接戦を制したライオン打線。加地健三郎に犠飛が1、鬼頭数雄に3得点が記録されている。











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