昭和15年4月11日付け読売新聞は「澤村球場へ帰還」の見出しと共に「日本職業野球界最大の名投手、東京巨人軍の澤村栄治(24)君は昭和12年秋のシーズンを名残りとして翌13年1月郷里の部隊に入営・・・9日除隊となり宇治山田市岩淵町の実家に無事帰還した旨10日巨人軍市岡専務へ電報があった。」と伝えている。
更に「澤村投手は入営中には師団対抗手榴弾投競技で師団長の前で83メートルという超人的新記録を樹立して流石職業球団随一の名投手たるにふさわしい怪腕を発揮し大いに面目を施した・・・」「・・・大別山の激戦で左手に貫通銃創を受けたが昨夏8月原隊に復帰・・・」「暫らく郷里で静養のうえ巨人軍に復帰するが懐かしの“背番号14”が後楽園に、例の胸のすくような速球と剃刀の刃のように鋭いドロップの偉力を発揮する日は近い」と伝えている。
「澤村投手談」として「聖戦で体得した尊い試練を基礎として巨人軍に復帰の上大いに頑張る覚悟です。ただ2年余の軍隊生活で三貫匁も肥りすっかり軍隊式になったので鍛え直さなければならないと考えています。将来をよりよくするためにはこの際一切白紙に還元して再出発したいので再びプレートに起つには田舎ですっかり体を練り直し自信ができてからにしたいと思っています。」と伝えている。
大本営発表的記述も見られるが、手榴弾投83メートルの記録は当時の新聞に書かれているので事実でしょう。一貫は「3.75キロ」なので澤村は10キロ以上肥ったことになる。これからトレーニングを積んで体を絞っていくこととなる。
澤村栄治の伝記映画「不滅の熱球」にもこの時澤村が走り込みを続けるトレーニングシーンが見られます。1955年に公開された「不滅の熱球」は池辺良が澤村栄治、司葉子が優子夫人を演じた傑作ですがビデオ化もDVD化もされていないようなので中々見る機会がないのが残念です。深夜テレビで一度だけ見たことがあります。
1940年に公開された「秀子の応援団長」には吉原正喜、水原茂、スタルヒン、尾茂田叶、野口二郎、景浦将他、当時の現役選手が多数出演しており、貴重な画像はユーチューブにもアップされています。川上哲治の伝記映画「背番号16」には川上自身も出演しており野球中継が雨で中止になった時などに放映されていましたが最近では見る機会もなくなりました。
野球映画の世界では日米の差は野球技術以上に大きく、邦画では上記3作くらいしか論じる作品がありませんが洋画では「打撃王」や「フィールド・オブ・ドリームス」を始め数多くの傑作があります。
当ブログお薦めの作品は「61*」です。ロジャー・マリスがベーブ・ルースの60号を破って61号を記録した当時は試合数の違いからマリスの記録「61」にはアスタリスクが付けられていました。アスタリスクが外されたのはマリスの死後のことです。「61*」はDVDになっていますので見ることができます。筆者も横浜のレンタルビデオ店で借りてきたものですが、「店長推薦」が貼ってありました。見る目のある店長さんですね。
次にお薦めは「エイトメンアウト」です。ブラックソックス事件を正面から扱った日本未公開作品ですがDVD化されていますので見ることができます。「Say it ain't so Joe」は史実ではなかったとも言われていますが映画の中では効果的に使われています。「フィールド・オブ・ドリームス」もブラックソックス事件に関連した作品ではありますが、「エイトメンアウト」の方が面白い。
まだあまり有名ではなかった頃のトミー・リー・ジョーンズがタイ・カッブを演じた「タイ・カップ」(原題「COBB」)は公開当時「タイ・カッブの人間性に迫る」という触れ込みでしたので日本では受ける訳ないねと思って見ていました。日本では理解できた人は少なかったと思いますが、筆者の米国野球史研究の基礎は「タイ・カップ自伝」(ベースボール・マガジン社)にありますのでこれも外せません。
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