4月6日 (土) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 4 3 7 タイガース 8勝5敗1分 0.615 若林忠志
0 0 0 0 0 1 0 0 1 2 名古屋 8勝5敗 0.615 村松幸雄
勝利投手 若林忠志 4勝2敗
敗戦投手 村松幸雄 3勝1敗
二塁打 (タ)堀尾2、若林
三塁打 (名)大沢
勝利打点 ジミー堀尾文人 2
無情の雨
タイガースの先発は若林忠志、名古屋の先発は村松幸雄で午後1時ちょうど、池田豊球審の右手が上がりプレイボール。
村松はは3回までパーフェクトピッチングを続ける。一方、若林忠志も3回までパーフェクトピッチングと、序盤戦は両先発投手の投げ合いが続いた。
タイガースは4回、一死後ジミー堀尾文人が初ヒットとなる二塁打を左中間に放つが本堂保次は三ゴロ、カイザー田中義雄は投ゴロに倒れる。5回は一死後伊賀上良平が三塁への内野安打で出塁するが後続なく、6回は一死後皆川定之が四球で出塁するが堀尾は三邪飛、本堂は三飛に倒れてここまで無得点。
名古屋は4回、先頭の石田政良が中前打で出塁して二盗に成功、しかし一死後桝嘉一の投ゴロで石田は三塁に走るがピッチャー若林からサード伊賀上に渡ってタッチアウト。5回も先頭の吉田猪佐喜が中前打で出塁、中村三郎の二ゴロで二進、三浦敏一の三ゴロで三進、芳賀直一が四球を選んで二死一三塁とするが村松は一ゴロに倒れる。
名古屋は6回、桝がショートに内野安打で出塁、大沢清が右中間に三塁打を放ち均衡が破れて1点を先制する。
雨が降り出したタイガース7回表の攻撃は二死後伊賀上が中前打を放つが中田金一は三振に倒れる。
名古屋は7回裏、中村は4球で三振、三浦敏一は5球で三振、芳賀は2球目を打って三ゴロに倒れる。名古屋に遅延行為は見られなかったが雨脚が強くなって池田豊球審、沢東洋男塁審、島秀之助塁審が集まり1時55分、試合中断が宣言される。
40分の中断を挟んで2時35分、試合は再開される。翌日の読売新聞によるとタイガースは早くからウォームアップを開始したが名古屋はウォームアップ無しで試合再開に臨んだ。この中断が村松幸雄の運命を暗転させた。
タイガースは8回、肩が冷え切った村松から若林が右中間に二塁打、森国五郎のバントが内野安打となって無死一三塁、トップに返り皆川が8球粘って四球を選び無死満塁、堀尾が左翼線に逆転の2点タイムリーを放って2-1、本堂が投前に送りバントを決めて一死二三塁、田中の遊ゴロをショート村瀬一三が失する間に皆川が還って3-1、松木の右犠飛で4-1とする。
タイガースは9回、先頭の中田金一がストレートの四球で出塁、若林が送って森の二ゴロの間に中田が三塁に進み、トップに返り皆川が左翼線にタイムリーを放って5-1、堀尾の左中間二塁打で二死二三塁、本堂の遊ゴロを又も村瀬がタイムリーエラーして6-1、田中も死球で出て松木の右前タイムリーで7-1と突き放す。
名古屋は9回裏、先頭の大沢が四球で出塁すると代走に木村進一を起用、吉田の三ゴロの間に木村は二進、更に木村が三盗を決めて三浦の中前タイムリーで1点を返すが最後は芳賀が遊ゴロに倒れてタイガースが逆転勝ち。
若林忠志は5安打2四球3三振の完投で4勝目をあげる。
7回までタイガース打線を3安打無失点に抑えていた村松幸雄にとっては「無情の雨」となった。昭和50年第57回夏の甲子園準決勝、習志野vs広島商業は午前11時58分に試合開始となりましたが4回裏一死で雨のため1時間47分中断して習志野が4対0で勝ち、決勝の新居浜商業戦も下山田のサヨナラ右前打で習志野が二度目の優勝を達成しました。当時のアサヒグラフは準決勝の中断を「恵みの雨」と伝えており、前半不調であった習志野のエース小川淳司は中断後立ち直ったとのことです。しかしこの試合で肩を痛めた小川は投手を断念し、中央大学では外野手に転向し、河合楽器を経てヤクルトに進み準レギュラーとして10年を過ごし、引退後は長く二軍でコーチ・監督を務め、偶然一軍のコーチに上がったところ高田監督の休養により代理監督となります。荒木大輔監督へのつなぎ役に過ぎないと考えられていたところ、意外な好成績を残し何より選手からの評判が良かったことからよもやの続投となって今日に至っています。
小川が甲子園の中断で肩を痛めずに投手を続けていたらプロへの道が開けていたか分からない。プロに進んだとしても土屋や根本との比較から投手としてはプロでは通用しなかったかもしれず、今日の道が開けなかった可能性がある。準決勝の雨は、アサヒグラフに書かれた意味とは全く違っているが、小川にとって「恵みの雨」であったのかもしれない。
*若林忠志は40分の中断の影響もなく5安打完投で4勝目をあげる。
*40分の中断を伝える雑記欄。
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