2012年7月29日日曜日

15年 セネタースvsイーグルス 2回戦


4月13日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 3 2 0 1 0 0 0  6 セネタース 11勝5敗1分 0.688 浅岡三郎
0 0 0 0 0 0 0 0 1  1 イーグルス   5勝9敗1分 0.357 長谷川重一 中河美芳

勝利投手 浅岡三郎     4勝0敗
敗戦投手 長谷川重一 1勝1敗

三塁打 (セ)野口
本塁打 (セ)苅田 1号 (イ)中河 1号

勝利打点 横沢七郎 2


中河美芳、生涯唯一のホームラン

 セネタースは3回、先頭の織辺由三がワンスリーから四球を選んで出塁、トップに返り苅田久徳が左前打、横沢七郎が左前に先制タイムリーを放って1-0、野口二郎が右前にタイムリーを放って2-0としてなお無死一三塁、山崎文一の中犠飛で3-0とする。

 セネタースは4回、先頭の織辺の遊ゴロをショート山田潔がエラー、苅田が左前打、横沢が一前に送りバントを決めて一死二三塁、野口が左越えに三塁打を放って5-0とする。

 セネタースは6回、一死後苅田が左翼スタンドにソロホームランを放って6-0とダメ押す。

 セネタース先発の浅岡三郎は8回まで4安打無失点の好投を見せる。ピンチは3回だけで、先頭の清家忠太郎に左前打を許し、山田の遊ゴロで清家が二進、岡田福吉を一邪飛に打ち取るが、岩垣二郎に四球を与えて中河美芳の左前打で二死満塁、しかし谷義夫は三振に仕留める。1回の無死一塁は「4B-3」、5回の無死一塁も「4-6-3」とセネタースお得意の併殺網で切り抜ける。

 イーグルスは9回、先頭の中河がライトスタンドにホームランを放って零封を免れる。


 好調浅岡三郎は5安打2四球4三振の完投で無傷の4連勝を飾る。翌日の読売新聞に「イ軍の攻撃は浅岡のスクルウ・ボール」に徹頭徹尾苦しめられて・・・」という記述がみられる。筆者は、日本人が初めて「スクリューボール」を知ったのは1971年に日米野球で来日したボルチモア・オリオールズのマイク・クエイヤーが投た時であったと信じていたが、既に昭和15年には「スクリューボール」の存在は認識されており浅岡三郎が投げていたようである。一般的には「スクリューボール」は左腕投手がサイド気味に投げると考えられており、浅岡の「スクルウ・ボール」はシンカーであった可能性も考えられる。若林忠志がシンカーを武器にしていたことは当時の記述によく見られる。

 セネタースはこれで7連勝となって首位ジャイアンツに並んだ。セネタースの快進撃は大和球士著「真説 日本野球史」にも描かれている。しかし「投手団は野口を軸に、浅岡、村松、金子が好投した。」と書かれている。事実は当ブログが示しているとおり、浅岡三郎が投手団の軸になっている。野口二郎は本日も5打数3安打3打点を記録しているように「打撃陣の軸」になっているのが史実である。


 中河美芳が本塁打を放った。中河のバッティングは柔らかく弾き返す広角打法で、例えば昭和14年3月に40打数13安打打率4割3分3厘をマークして月間MVPを獲得した時も13安打は全てシングルヒットであった。通算1,342打数を記録する中河にとってプロ生活唯一の本塁打となった。









            *浅岡三郎は5安打完投で無傷の4連勝を飾る。










     *中河美芳の生涯唯一の本塁打を伝えるスコアカード。












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