2012年7月12日木曜日

赤バット登場



 赤バットと言えば終戦直後の「川上の赤バットと大下の青バット」を連想される方が多いのではないかと考えられますが、昭和15年4月には川上は赤バットを使用していたようです。昭和15年4月2日付け読売新聞は名古屋1回戦の川上のサヨナラ打の場面を「川上は(カウント=筆者注)2-3の土壇場でヒット・エンド・ランを敢行し愛用の“赤トンボ”バット一振、物の見事に左中間二塁打して中島を本塁に迎えた。」と伝えています。


 大和球士著「真説 日本野球史」にも「壮絶な弾丸ライナーを打った川上のバットが赤く塗ってあったため、赤バットはしばらくの間、スタンドの話題になった。戦後になって、大下の青バット、川上の赤バットが少年ファンを魅了することになる。」と書かれていますので間違いないでしょう。なお、「弾丸ライナー」が初めて活字になるのはこの年の秋のことですのでしばらくお待ちください。




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