2012年5月12日土曜日

14年 金鯱vs名古屋 12回戦


11月5日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 1 0 2 2 7 金鯱   36勝55敗3分 0.396 中山正嘉
0 1 0 0 0 1 0 0 0 2 名古屋 36勝53敗4分 0.404 西沢道夫 松尾幸造


勝利投手 中山正嘉 25勝20敗
敗戦投手 西沢道夫   6勝10敗


二塁打 (金)小林茂 (名)中村、石田
三塁打 (名)村瀬
本塁打 (金)小林利 3号


松元三彦試合を決める一打
 
 ジャイアンツ戦の2勝を含む5連勝中の名古屋は西沢道夫が先発。六位名古屋を2ゲーム差で追う七位金鯱はエース中山正嘉が先発。ここまで金鯱6勝、名古屋5勝で迎えた名古屋新聞を母体とする金鯱と新愛知新聞を母体とする名古屋による宿命のライバル決戦は最終章を迎えた。


 金鯱は初回、二死後野村高義が四球を選んで出塁、小林利蔵がカウントツースリーから左翼スタンドに第3号先制ツーランを叩き込んで2-0とする。


 初回に先頭の石田政良が敵失に生きたチャンスを併殺で潰した名古屋は2回、一死後加藤正二が四球で歩くと二盗に成功、中村三郎が右中間に二塁打を放って1-2とする。


 名古屋先発の西沢は立ち上がりから濃人渉、佐々木常助を捕飛、捕邪飛に打ち取る好スタートを切ったが力が入り過ぎたか野村に四球を与え小林利蔵に一発を浴びた。続く小林茂太も三飛に打ち取り、2回は三者三振と飛ばした。3回からはいつも通り低目の変化球でゴロに打ち取り5回まで無失点。金鯱先発の中山もランナーを出しながらも3回以降5回まで無失点を続ける。


 金鯱は6回、一死後野村が中前打で出塁、小林利蔵は四球を選んで一死一二塁、小林茂太は捕邪飛に倒れて二死一二塁、中山が左前にタイムリーを放って3-1とする。


 名古屋は6回裏、先頭の村瀬一三が右中間に三塁打、桝嘉一は三振に倒れるが、大沢清の二ゴロの間に村瀬が還って2-3とする。


 名古屋は7回から先発の西沢に代えて松尾幸造をマウンドに送り込む。西沢が前半から飛ばしてきただけにこの交代は致し方のないところであるが松尾の出来が誤算であった。


 金鯱は8回、先頭の野村が四球を選んで出塁、小林利蔵は三飛に倒れるが小林茂太が左翼線に二塁打を放って一死二三塁、中山は浅い右飛に倒れて二死二三塁、ここで4回途中から長島進に代わってマスクを被る松元三彦が中前に殊勲の2点タイムリーを放って5-2とする。


 金鯱は9回、先頭の五味芳夫が右翼線にヒットを放ち二盗に成功、濃人渉が四球を選び佐々木は中飛に倒れて一死一二塁、ここでダブルスチールを決めて一死二三塁、野村の二ゴロで三走五味がホームに突っ込みセカンド中村がバックホームするがセーフ、更にこの送球が悪送球となり二走濃人までホームに還って7-2と突き放す。記録は野選とエラー。


 中山正嘉は8回は石田の二塁打などで二死一二塁のピンチを迎えるが大沢を三振に打ち取り、9回は加藤のヒットと自らのエラーで無死一二塁とするが三浦敏一に代わる代打吉田猪佐喜を三振、芳賀直一に代わる代打服部受弘を三ゴロ、松尾に代わる代打岩本章を三振と名古屋の繰出す代打攻勢を凌いで、結局5安打3四球6三振の完投で25勝目をあげる。


 金鯱の1回、6回、8回の得点は全て先頭打者の野村高義の出塁から生まれたもの、野村は5打席3打数1安打3得点2四球の活躍であった。


 試合を決める一打を放った松元三彦は試合出場は少ないが強肩・強打の持ち主で投手としても通算2勝を記録している。昭和13年秋季リーグ戦、9月9日のタイガース2回戦では二打席連続ホームランを記録している。因みに松元の通算本塁打はこの2本のみである。松元は名門・鹿児島一中(現・鹿児島県立鶴丸高等学校=全国偏差値ランキング5位のラ・サールと並ぶ県下随一の進学校)の出身。同校野球部は「野球の名付け親」として知られる中馬庚が1899年に教師として赴任した年に創設されたものであるが、中馬庚が創設したものではないようである。





                 *中山正嘉は5安打完投で25勝目をあげる。








               *松元三彦が8回に試合を決める一打を放った場面。


0 件のコメント:

コメントを投稿