2012年5月13日日曜日

幻の大先輩 その三



 その二から続く。

 私の高校の先輩でプロ野球選手になったのはその一、その二で紹介した旧・慶應普通部出身では山本愛一郎、慶應商工出身では佐藤喜久雄、松永英一、亀山誠二の他、現在当ブログで活躍している横沢七郎、最も有名な白木義一郎がいます。戦後の慶應高校出身では神宮で首位打者となり国鉄スワローズに入った赤木健一、1960年のセンバツに出場して神宮では完全試合を達成し南海では一時エース的活躍を見せた渡辺泰輔がおり、後輩には西武の佐藤友亮がいます。この中で大学には行かずにプロに進んだと確認できているのは佐藤喜久雄だけです。慶應商工の方が名選手を輩出しているのは一目瞭然です。旧・慶應普通部からは腰本寿、牧野直隆、三宅大輔、新田恭一などの球界の重鎮が目立ちます。



 旧・慶應普通部の系譜が現在の慶應普通部、慶應商工の系譜が現在の慶應中等部となっているようです。両校とも中学校です。野球部は伝統的に中等部の方が断然強く、中等部の野球部からは高校の硬式に、普通部の野球部からは高校の軟式に進む流れが伝統でした。


 この伝統が破壊されたのは特待生を採り始めてからです。2003年から採り始めたようですが、2008年には46年ぶりの夏の甲子園出場を達成し、その年の新チームで秋の明治神宮大会に優勝し、翌春のセンバツには断トツの優勝候補として出場しましたが1回戦で負けました。


 中等部、普通部の野球部出身者、外部からの一般入試で入ってきた者では硬式野球部ではベンチ入りすらできなくなり、仕方なく軟式に流れてこざるを得なくなってしまいました。現在の慶應大学硬式野球部のメンバーの多くが塾高出身者で占められているのはこうした事情からです。


 このような状況は心あるOBの間では顰蹙を買っています。当ブログからの提言としては、特待生は年に3人までとし、中等部・普通部から甲子園、神宮を目指す者や一般入試で野球部を目指す者にも門戸を広げるべきであると考えます。慶應義塾体育会に連綿と流れる小泉信三の「練習は不可能を可能にする」は、素質の無い者が素質の無さを恐れずに立ち向かっていく精神を言っているものであり、最初から可能な者ばかりをかき集めてくるのは邪道であると確信します。


 中学で慶應野球部を目指す諸君には、是非特待生などは利用せず、正々堂々と一般入試で入ってきてもらいたい。内申書も重視されると反論される方もいらっしゃるかもしれませんが、本当に成績が良ければなおのこそ一般入試でチャレンジするべきではないでしょうか。


 就職に有利だから慶應体育会を目指す者が実際に存在します。もちろん正当な努力により競争を勝ち抜いていく者が多くを占めていることを知っていますが、就職に有利だから在籍しているだけの者には当ブログから鉄拳制裁が飛びますのであしからず。
 

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