2011年5月30日月曜日

玉腰年男と玉腰忠義

 昨日付けブログ「南海vsライオン4回戦」にkwai様からコメントをいただいたように、昭和13年10月後半から11月にかけてのスコアブックの表記において、別人である玉腰年男と玉腰忠義が混同しているようです。

 当ブログで解読しているスコアブックはB5大の用紙に一試合分両チームが上下に縮小コピーされているものと思われます。オリジナルはコミッショナー事務局にある筈ですが、オリジナルから清書したバージョンも存在しているのではないかと考えています。それを縮小コピーしたものを福室正之助氏が所有されており、数十年を経て私が神田神保町の古書店で購入したものです。縮小コピーは1970年代には登場していたと思われますので(少なくとも私の大学時代にはありました。)、その頃のものでしょう。

 今回の件で、オリジナルからの清書バージョンは後年作成されたものであることがほぼ確実になりました。戦後になって戦前の記録の洗い直しが行われたことは史実ですので恐らくその時ではないでしょうか。記録を洗い直すのはかなり丹念な作業を要しますので、書かれたものを読んでいくよりはワンプレー毎に書き写していく方が正確に洗い直し作業ができると思います。写すことが目的なのでは無く記録を洗い直すことが目的な訳ですから。もちろん保存も目的であったと考えられます。

 写真でも掲載させていただいているとおり、選手名はゴム印で押されいるものと思われます。スコアの清書は山内以九士氏が行ったと推測されますが、選手名はコミッショナー事務局のスタッフがゴム印で押していたのではないでしょうか。ここで玉腰年男と玉腰忠義の混同が生じてしまったのではないでしょうか。山内以九士氏(或は広瀬謙三氏かもしれませんが)が間違えるとも思えませんので、恐らく不慣れなスタッフが、もちろん善意で手伝ったために生じたミスではないでしょうか。

 kwai様が書かれているとおり、玉腰年男が一時忠義に改名していた可能性もゼロではありませんが。因みにkwai様は当時の記録を丹念に調査されている方です。システムトラブルのためか、コメントの返事ができませんのでこちらで失礼させていただきます。

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