2011年5月29日日曜日

13年秋 南海vsライオン 4回戦

11月3日 (木) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 2  2 南海         7勝22敗3分 0.241 宮口美吉
3 0 0 0 2 0 1 0 X  6 ライオン 15勝17敗       0.469 菊矢吉男


勝利投手 菊矢吉男 8勝8敗
敗戦投手 宮口美吉 4勝9敗


二塁打 (ラ)玉腰


南海、44イニングス振りの得点も単独最下位


 ライオンは初回、先頭の坪内道則がいきなり死球を得て出塁、鬼頭数雄の三前バントが内野安打となって無死一二塁、水谷則一の二ゴロを負傷から復帰のセカンド西端利郎がエラーして無死満塁、四番室井豊は三振に倒れるが玉腰年男の二ゴロを西端が連続エラーする間に三走坪内に続いて二走鬼頭も還って2点を先制する。更に水谷三盗、菊矢吉男四球で一死満塁、中谷順次が中犠飛を打ち上げて3-0とする。

 ライオンは5回、一死後室井が四球で出塁、玉腰が左翼線に二塁打を放って一死二三塁、パスボールで室井が還って4-0、菊谷が四球で歩き中谷が左翼線にタイムリーを放って5-0とする。更に7回、一死後玉腰が四球で出塁、菊谷の三ゴロをサード上田良夫が一塁に悪送球して一死一三塁、6回から中谷に代わってサードに入っている柳澤騰市の二ゴロの間に玉腰が還って6-0とする。
 菊矢吉男は8回まで南海打線を5安打無得点に抑える。

 南海は9回、この回先頭の高野百介が右前打で出塁、中田道信が左前打で続いて無死一二塁、宮口美吉四球で無死満塁、海蔵寺弘司に代わって負傷欠場が続いていた中村金次が代打で登場、中村の二ゴロの間に高野が還って1-6、トップに返り小林悟楼四球で一死満塁、平井猪三郎の二ゴロの間に中田が還って2-6とするが時すでに遅し。

 菊矢吉男は8安打6四球6三振の完投で今季8勝目をあげる。最終回の2点は、点差から考えて確実にアウトを取るために満塁でも定位置で守っていたはずであり内野ゴロによる2失点は致し方のないところ。

 宮口美吉は8回を投げ切り5安打8四球1死球2三振、6失点の内自責点は2と三つのエラーに足を引っ張られた。金鯱と同率最下位に並んでいた南海は再び単独最下位に転落。南海はこれで八試合連続3点以下の得点しか上げていない。二試合連続完封負けの後延長11回を0対0で引き分けておりこの日の8回まで43イニングス連続無得点、9回の得点は10月23日の金鯱4回戦3回裏に上げた1点以来44イニングス振りの得点となった。



 なお、ライオンの玉腰年男については本日のスコアブックでは「玉腰忠義」となっております。10月16日付け読売新聞にプロ入りの記事が載っておりますが「明治(大学=筆者注)の新人として将来を期待された享栄商業出身の一塁手玉腰年男選手(22歳)は今回プロ野球に転向してライオンに入社、聯盟理事会で正式に登録された」と書かれており、10月16日のデビュー戦南海3回戦ではスコアブックの表記も「玉腰年男」となっています。以降「玉腰年男」名で出場していましたが、10月24日のセネタース4回戦から「玉腰忠義」表記に変わっており本日に至っていることに本日気が付きました。昭和13年中は「玉腰忠義」名で出場していますが昭和14年には「玉腰年男」名に再度変わっています。次のゲームからは「玉腰忠義」でお伝えすることとさせていただきます。





          *10月16日に「玉腰年男」でデビュー





          *10月24日から「玉腰忠義」に変更



1 件のコメント:

  1. これはおそらく玉腰年男と同姓の玉腰忠義と混同しているのではないでしょうか。

    玉腰忠義は昭和15年黒鷲軍に入団。22年金星スターズ、24年阪急ブレーブスに移籍、25年現役引退。

    13年秋はまだ職業野球でプレーしていません。名前表記は間違いかと思います。
    年男が忠義と改名していないという事がはっきり確認できるものはありませんが・・・。

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