2011年5月26日木曜日

景浦の打球は太平洋に消えたのか

 5月25日付けスポニチ二面、二宮清純氏のコラム「唯我独論」に「澤村や景浦を顕彰すべき」と言う論評が掲載されています。二宮氏はこの手の話を時々掲載されています。澤村と景浦の話となると昭和11年洲崎決戦第一戦の景浦の「太平洋ホームラン」が登場する訳ですが、この日のコラムにも「『東京湾に入る』とまで言われた特大アーチを浴びた」書かれています。流石は二宮氏、洲崎球場の場外ホームランは太平洋まで届くはずはなく飛んでも東京湾までであるという位置関係をご存じなのでしょう。更に「とまで言われた」と断定を避けているあたりは、実は場外ホームランでは無かったという可能性までご存じのようです。


 昭和11年12月10日付け読売新聞には鈴木惣太郎氏の論評が掲載されていますが、ここには「左翼ブリーチャーに飛び込む大本塁打」と書かれています。同じ紙面に試合経過の詳報が記載されていますがここには「景浦ワンスリー後左翼観覧席に入る本塁打を放ち三者生還」と書かれています。


 竹中半平氏著「背番号への愛着」の景浦の項にはこのホームランについて「左翼スタンドの空高く飛び去ったあの一打」と書かれておりこの記述は場外ホームランの可能性を示唆しています。


 大和球士氏著「真説 日本野球史」(昭和篇その二)には「左翼スタンドへホームラン」と書かれています。


 一方、同じく大和球士氏著「プロ野球三国志」第四巻には「景浦の打った球は左翼の木造スタンドの上段にコオンと鈍い音を立てて場外へ去った。」と書かれており、「プロ野球三国志」の記述が「太平洋ホームラン説」の根拠となっていると推察されます。


 以上の記述の中で最も信憑性の高いものは矢張り読売新聞の鈴木惣太郎氏の論評ではないかと思います。「左翼ブリーチャー」とはレフトの外野スタンドのことを言いますので残念ながら洲崎決戦の景浦のスリーランホームランは太平洋(東京湾)に消えた場外ホームランでは無かったと考えられます。


 恐らく他の試合で景浦が洲崎球場で場外ホームランを打った事実はあるのだと思います。それが混同されて洲崎決戦の本塁打が「太平洋ホームラン」として伝わってしまったのではないでしょうか。但し、今更否定しても何のメリットもありません。「太平洋ホームラン」としておいた方が、夢があって良いのではないでしょうか。

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