スタン・ミュージアルの訃報が伝えられています。ミュージアルついては2012年1月9日付けブログ「ガスハウスギャング ④」に書いていますので重複は避けますが、「野球に興味がなかった亡き父と一度だけ大リーグの話をしたことがありましたが、話題はスタン・ミュージアルでした。」についてだけ補足させていただきます。
スタン・ミュージアルが日米野球で来日したのは昭和33年10月20日で最終戦が11月16日なので1ヶ月ほど日本に滞在していたことになります。私が神戸で生まれたのが昭和33年11月2日ですが、この日は西宮球場でカージナルスvs全日本戦が行われています。私が生まれた日に隣町でスタン・ミュージアルが野球をやっていました。この年の日米野球は16試合行われましたが、西宮球場ではこの1試合だけです。私が大リーグに興味を持ち始めた中学時代、父から「スタン・ミュージアルは凄い選手だった。」と聞かされた時はほとんど野球の話をしたことがなかっただけに不思議な感じがしましたが、多分これが理由でしょう。
ベースボール・マガジン社から1978年に刊行されたスタン・ミュージアル伝のタイトルは「大リーグ最高のプレイヤー」ですが、私が考える大リーグ史上最高の選手はスタン・ミュージアルです。第二次大戦以前のタイ・カップ、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、戦中から戦後にかけてのジョー・ディマジオ、テッド・ウイリアムス、スタン・ミュージアル、戦後のミッキー・マントル、ウィリー・メイズを勉強すれば大リーグ史を語ることができます。そこからハンク・アーロン、ロベルト・クレメンテ、ピート・ローズ、マイク・シュミット、オジー・スミス、バリー・ボンズ、ケン・グリフィーJr、アルバート・プホルスへと連なっていきます。彼らの系譜をマイク・トラウト、ブライス・ハーパーが受け継いでいってくれるのか、2010年代の大リーグ野球を「ザ・マン」は天国から見守ることとなりました。
*我が家の玄関に飾っているスタン・ミュージアルのサイン入り写真。一度落としたのでガラスにひびが入っています。
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