2013年1月24日木曜日

西鉄、海乃山、ハンバーグ



 元横綱三重ノ海の武蔵川親方が65歳で定年退職しました。


 相撲ネタは当ブログ史上初めてのこととなります。筆者が通っていた千葉県市川市立真間小学校の近くに当時の横綱佐田の山が住んでいました。小学校4年生頃のことと思いますが、佐田の山が出羽の海部屋の力士を引き連れて真間小学校にやってくることとなりました。校庭の隅に土俵が造られ、選抜メンバーが出羽の海部屋の力士と相撲をとることとなったのです。私の小学校時代の一大事件でした。私はメンバーには選ばれませんでしたが、当然の如く出羽の海部屋のファンとなった訳です。佐田の山の引退相撲には真間小学校の生徒が招待されて初めて蔵前国技館に行きました。


 当時は幕内上位に福の花、幕内中位に海乃山がいました。ということで私が初めてファンになった力士が海乃山です。鋭い蹴手繰り(けたぐり)が特徴でした。蹴手繰りで大鵬を破ったことがあります。この頃私が目を付けていたのがまだ幕下だった三重ノ海です。


 「三重県松坂市出身、出羽の海部屋」土俵に登場する時の紹介アナウンスは何度聞いたか分からない程です。私の中学(1971年~73年)、高校(74年~76年)時代に頭角を現してきました。伝説の黒姫山との流血相撲は71年のことでした。“大関キラー”と呼ばれた関脇時代が勢いもあって一番強かったと思います。身体が小さく、肝炎のため休みがちでしたがまさかの大関昇進を果たし、びっくり仰天の横綱にもなっちゃいました。更に驚くことに理事長にもなってしまったのです。本人の粘り強い性格としか言いようがないと思います。三重ノ海ファン歴45年の私が言うのですから間違いないでしょう。理事長時代には色々とご苦労がありましたが、私だけは応援していたことを付言しておきます。


 世の中「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われていた頃、私は「西鉄、海乃山、ハンバーグ」でした。どうも巨人は好きになれず、黒い霧事件でみんなが西鉄を苛めるので「じゃー俺がファンになってやろうじゃねーか」ということで西鉄ファンを始めたのが小学校6年の時です。大鵬は晩年しか知りませんので海乃山のファンになりました。玉子焼きが美味しいと思ったことは一度もなく、私の好物はハンバーグでした。小学校時代の通信簿の性格欄にはいつも「ひねくれ者、理屈っぽい」と書かれていました。40年以上経ってもこの性格は一向に治りませんね(笑)。







 

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