8月11日 (日) 大連 満倶球場
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 35勝24敗4分 0.593 森弘太郎
0 0 0 0 1 0 0 0 X 1 タイガース 37勝25敗3分 0.597 若林忠志
勝利投手 若林忠志 13勝10敗
敗戦投手 森弘太郎 20勝8敗
三塁打 (タ)若林
勝利打点 森国五郎 3
最短試合
阪急は第二試合に森弘太郎が先発、タイガースは若林忠志の先発で応戦する。午後4時55分、二出川延明主審の右手が上がりプレイボール。
阪急は初回、一死後フランク山田伝が左前打を放って出塁、しかし黒田健吾の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。
タイガースは1回裏、先頭のジミー堀尾文人が中前打で出塁、皆川定之の二ゴロをセカンド伊東甚吉がエラーして無死一三塁、皆川が二盗を決めて無死二三塁、しかし松木謙治郎は三振、本堂保次の三ゴロで三走堀尾はホームを突くがサード黒田からのバックホームにタッチアウト、ここは黒田の蟻地獄にはまった。続くカイザー田中義雄も二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。
この後は森、若林両投手が好投を続けて5回表まで両軍無得点が続く。
タイガースは5回裏、一死後若林が中越えに三塁打、続く森国五郎がスクイズを決めて1点を先制する。これが決勝点となって森は満州リーグで3つ目の勝利打点をあげる。森は8日のライオン戦に続いてのスクイズによる決勝点を記録した。
若林忠志は80球を投げて2安打無四球4三振の完封で13勝目をあげる。森弘太郎は8回を77球で完投して3安打無四球1三振1失点であった。試合終了は午後5時51分で試合時間は56分の最短記録を更新した。松木謙治郎著「タイガースの生いたち」によると「試合途中、捕手井野川のレガースが故障し、これを取り替えるため3、4分かかった。これがなければ52、3分の驚異的記録を作ったかもしれない。」とのこと。因みに従来の記録は昭和12年秋季、西宮球場で行われた8月29日のイーグルスvs名古屋戦で記録された57分であった。この試合はイーグルス・藤野文三郎、名古屋・森井茂の先発で午前10時開始、10時57分終了であった。
この日の記録は昭和21年7月26日に西宮球場で行われたパシフィックvsタイガース戦で更新されることとなる。この試合はパシフィックが湯浅芳彰、タイガースが渡邊誠太郎の先発で午後1時15分に開始、2時10分に終了して55分の新記録が樹立されることとなる。
*若林忠志は80球、森弘太郎は77球の投球であった。
*最短記録を伝えるスコアカードの記載。
「プロ野球監督列伝」(近藤唯之著)によると、試合中断となったのは、井野川利春捕手のレガースの交換ではなく、突き指をしたからだそうです。
返信削除八回一死、3番・松木謙治郎一塁手の時に森弘太郎投手のサインミスで捕り損なった井野川が右人差し指を突き指。
応急処置の中断がありましたが、広瀬謙三公式記録員は中断時間を差し引くと52、3分の快記録と書き残しています。
近藤氏の著書ですから、信憑性に欠けると思われそうですが、本文では実際に井野川に取材しているようなので・・・。
http://eiji1917.blog62.fc2.com/
松木の記憶もあてにならないことはあります。「タイガースの生いたち」でも岡田宗芳の応召時期は間違っていますし。
削除井野川利春に取材をしても記憶違いの可能性もありますし真相は闇の中ですが、中断があった事だけは間違いないようですね。