8月11日 (日) 鞍山 昭和製鋼球場
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 イーグルス 31勝29敗4分 0.517 亀田忠
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 南海 17勝44敗4分 0.279 政野岩夫
勝利投手 亀田忠 17勝13敗
敗戦投手 政野岩夫 6勝12敗
二塁打 (イ)中河、岡田 (南)清水、岡村
勝利打点 中河美芳 2
中河美芳、決勝二塁打
4日の試合が雨のため順延となり、本日が鞍山での初試合となる。舞台となる昭和製鋼球場は満州日日新聞によると「改築以前の神宮球場をぐっと小さくしたような」球場とのことです。昭和製鋼所は元々鞍山製鉄所であったが1932年に満州国が成立すると33年に鞍山製鉄所から昭和製鋼所となった。野球は大連、奉天同様盛んで昭和13年の第12回都市対抗には「鞍山市代表 昭和製鋼」として出場している。昭和製鋼所は終戦と同時に解体されるので「昭和製鋼」が都市対抗に出場したのはこの時が唯一のこととなる。
イーグルスは初回、先頭の岡田福吉が四球で出塁、岩垣二郎は二遊間に内野安打、初めて三番に起用された玉腰忠義が送りバントを決めて一死二三塁、ここで中河美芳が左中間に二塁打を放って2点を先制する。
イーグルスは2回、先頭の木下政文が死球を受けて出塁、二死後岡田が左中間を破るが二塁をオーバーランして「8-6-4」と渡ってタッチアウト、二塁打は記録されたがスリーアウトチェンジ。
イーグルスは3回、先頭の岩垣が四球で出塁、しかし玉腰は三振、中河の三直に岩垣が飛び出してダブルプレー。イーグルスは追加得点のチャンスを自ら潰して9回まで無得点であった。
南海は3回、一死後藤戸逸郎が四球で出塁するが政野岩夫の二ゴロは「4-6-3」と渡ってゲッツー。4回も先頭の国久松一が中前打、一死後岡村俊昭が四球を選んで一死一二塁とするが吉川義次の遊ゴロは「6-4-3」と渡って又もゲッツー。6回も藤戸と国久のヒットで一死一二塁とするが無得点が続く。
南海は7回、一死後清水秀雄が右中間に二塁打、木村勉の遊ゴロをショート山田潔が一塁に悪送球して一死一三塁、上田良夫に代わる代打岩本義行の中犠飛で1-2とする。
南海は8回、一死後国久がこの日3本目のヒットを中前に運び、岩出清の一ゴロでランナーが入れ替って二死一塁、岡村の右中間二塁打で一走岩出は三塁ベースを蹴って同点のホームを狙うがライト玉腰から「9-4-2」と中継されてタッチアウト。
南海は最終回、先頭の吉川が左翼線にヒット、しかし清水の一ゴロでランナーが入れ替わり、前田貞行は三振、最後は岩本も三振を喫してゲームセットを告げるサイレンが初めて鞍山の空に鳴り響く。
亀田忠は7安打2四球4三振の完投で17勝目をあげる。政野岩夫も9回を完投して5安打2四球1死球1三振2失点の好投を見せたが中河の一打に泣いた。
本日の舞台となった昭和製鋼球場を本拠地とする昭和製鋼は昭和13年の第12回都市対抗に出場しているが、その時のエースが滝川中学出身の湯浅芳彰である。湯浅芳彰は戦後パシフィックに入団して昭和21年7月26日の大阪タイガース戦で渡邊誠太郎と投げ合って55分の最短試合記録を作り、本日の大連で行われた阪急vsタイガース戦の56分の記録を更新することとなる。
すなわち、昭和15年8月11日に大連で56分の最短記録が作られ、同日に鞍山 昭和製鋼球場で満州リーグ初試合が行われ、昭和13年に歴史上唯一都市対抗に出場した昭和製鋼のエースが湯浅芳彰であり、その湯浅が昭和21年7月26日に55分の記録を作って本日作られた最短記録を更新することとなるのである。一つ一つの事実関係は調べれば分かることですが、それがこのようなつながりを持っていることを解明できるツールは当ブログだけでしょう。
なお、「都市対抗野球大会60年史」(1990年1月 日本野球連盟 毎日新聞社発行)によると昭和13年の都市対抗1回戦で昭和製鋼は大津晴嵐会を6対1で降し、湯浅は七番ピッチャーで出場して大津晴嵐会を5安打3四球3三振1失点に抑えて完投勝利を飾り、2打数無安打の記録を残しています。準々決勝の全京城戦も先発しますが打ち込まれて10対5で敗れています。一旦セカンドに下がり、再度登板(恐らく二番手として登板した手島も打ち込まれたからでしょう)しています。この試合は八番で3打数無安打が記録されています。全京城はこの大会で準優勝する強豪でした。
*亀田忠は7安打完投で17勝目をあげる。
*鞍山 昭和製鋼球場での初試合を伝えるスコアカード。
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