2012年8月24日金曜日

15年 タイガースvs南海 3回戦



5月9日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 1 1 1 2 0 3 0 0  8 タイガース 12勝12敗1分 0.500 三輪八郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 南海            8勝16敗1分 0.333 平野正太郎 劉瀬章 天川清三郎

勝利投手 三輪八郎     2勝0敗
敗戦投手 平野正太郎 0勝3敗

二塁打 (タ)宮崎2、中田 (南)国久

勝利打点 中田金一 1


三輪八郎プロ入り初完封

 タイガースは2回、先頭の松木謙治郎が右前打で出塁、カイザー田中義雄の三ゴロでランナーが入れ替わり、伊賀上良平は四球、宮崎剛は三振に倒れて二死一二塁、中田金一が左前に先制タイムリーを放って1-0とする。これが決勝点となった。

 タイガースは3回、二死後本堂保次、松木が連続四球、田中が中前にタイムリーを放って2-0とする。

 タイガースは4回、宮崎がセンター右奥に二塁打、三輪八郎が右前にタイムリーを放って3-0とする。

 タイガースは5回、先頭jの本堂が右前打を放って南海先発の平野正太郎をKO、二番手として劉瀬章が登板する。松木の二ゴロの間に本堂は二進、田中の右前タイムリーで4-0、伊賀上は四球、宮崎は中飛に倒れるが中田が左翼線にタイムリー二塁打を放って5-0とする。

 タイガースは7回、一死後田中が左前打で出塁、伊賀上は四球を選んで一死一二塁、宮崎が左中間に二塁打を放って6-0としてなお一死二三塁、中田は遊飛に倒れて二死二三塁、三輪の左飛をレフト岡村俊昭が落球する間に伊賀上に続いて宮崎も還って8-0とする。


 三輪八郎は南海打線を6安打3四球8三振に抑えてプロ入り初完封を記録する。三輪は高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)の出身。高崎高校は地元では「たかたか」と呼ばれる県下随一の名門校で、福田赳夫、中曽根康弘 と二人の総理大臣を輩出している。プロ野球界で実績を残した選手は三輪八郎だけである。群馬県からはタイガースに皆川定之と青木正一が桐生中学から入団しており、桐生中学の稲川監督の紹介で高崎中学の三輪がタイガースに入団した。三輪は昭和18年まで投げ続けて通算10回の完封勝利を記録することとなるが、本日がその第1回目となった。応召後、戦死することとなる。

 先制タイムリーを含む4打数2安打2打点の活躍を見せた中田金一は三輪と同期で昭和14年にタイガース入団。生き延びて昭和23年にシベリアから帰還してタイガースに復帰、二リーグ分裂後は松木謙治郎監督の大阪タイガースの一員となる。松木謙治郎著「タイガースのおいたち」によると、戦後町工場を経営していた松木にタイガースは中田金一を仲介役として監督招聘活動を行ったとのことである。







                  *三輪八郎はプロ入り初完封を記録する。












     *昭和25年大阪タイガース時代の中田金一のサイン。左は御園生崇男、右は田宮謙次郎。














      *8対0で快勝したタイガース打線。








 

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