2011年1月27日木曜日

13年春 阪急vsタイガース 5回戦

6月19日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 3 0 0 3 7 阪急     12勝8敗 0.600 森弘太郎 小田野柏 石田光彦 宮武三郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 タイガース 17勝4敗 0.810 御園生崇男


勝利投手 森弘太郎     3勝2敗
敗戦投手 御園生崇男 6勝1敗


二塁打 (阪)山下実


阪急、四投手で完封リレー


 第一試合を控え中心で圧勝したタイガースはベストメンバーで阪急戦に挑む。

 阪急は初回、先頭の西村正夫が左前打で出塁、黒田健吾が送ってジミー堀尾文人の三塁内野安打で一死一三塁、山下実の一ゴロで三走西村がスタート、ファースト松木謙治郎からバックホームされるが間に合わず野選となって1点を先制する。

 阪急は6回、この回先頭の黒田の三ゴロをサード伊賀上良平が一塁に悪送球、堀尾の二ゴロでランナーが入れ替わり、山下実が右中間に二塁打を放って堀尾を迎え入れて2-0、山下好一の二遊間内野安打で一死一三塁、ここで上田藤夫がスクイズを決めて3-0、宇野錦次の左飛をレフト景浦将がエラーする間に山下好一が還って4-0とリードを広げる。

 阪急は9回、この回先頭の宇野が左前打で出塁、一死後小田野柏が四球、西村が送って黒田の遊ゴロをショート岡田宗芳がエラーする間に宇野が還って5-0、堀尾の左前打をレフト景浦が再度エラーして二者還って7-0と突き放す。

 阪急先発の森弘太郎は6回3分の2を無失点、阪急は小田野柏、石田光彦、宮武三郎と四人で継ないでタイガースを零封する。

 第一試合ではレギュラーを5人外して18得点をあげたタイガースは、満を持してベストメンバーで臨んだ第二試合では完封負けを喫す。景浦の二つのエラーなどは、例の癖が出たのではないか。松木謙治郎の著書によると例の癖は昭和11年には見られたという。一般的には昭和13年度の契約更改で給料が上がらなかったことに起因するとも言われているが、直接の原因は松山商業の先輩森茂雄監督が更迭されたことに反発して反石本派となった訳です。と書いたところで松木著「タイガースのおいたち」を読み返してみたら、景浦の項以外のところに「甲子園の阪急戦で左翼を守っていたとき、正面にゴロが飛んできた。一歩も動かずこれを眺めているだけ。あわてた中堅手山口がこれを追ったが、三塁打(記録はヒットと景浦のエラーにより二つの進塁=筆者注)になるということがあった。」という記述を見つけましたので本日の二つ目のエラーのことでしょう。ということは一つ目のエラーもわざと追わなかったか落球したものでしょう。1エラーの伊賀上良平も松山商業出身で森茂雄に一任してタイガース入りした経緯があり景浦派と見て良いでしょう。2エラーの岡田宗芳は広陵中学出身、1エラーの藤村富美男は呉港中学出身と、ライバル広島商業の石本秀一監督とは微妙な関係であった可能性もあり、同調した可能性がある。いずれにしても本日の6失策は通常では考えられない。

 今季は各チーム5回総当たりなので本日が阪急vsタイガースの最終戦。森監督が解任されたのは昭和11年シーズン前の阪急戦に敗れたことが原因であり、意趣返しにはもってこいのシチュエーションです。

 景浦の名誉のために筆者なりの見解を補足すると、景浦は負けても大勢に影響が出ないであろうと思われる試合でしかこういうことはやっていません。本日も第一試合を控え連中で大差で勝ち、満を持してレギュラーで阪急戦に臨んだ石本監督に反発したと考えられます。子供の反抗みたいですが、時代も考える必要があります。スコアブックを眺めているだけでも、こういうことが見えてくるものです。というより、現実に行われた全プレーを追っていかないと見えてこないのかもしれません。

 阪急キラー御園生崇男が昭和12年春季リーグ戦の6月26日以来となる今季初黒星。昭和12年秋季リーグ戦の11連勝と合わせて17連勝、昭和12年春季リーグ戦から通算すると18連勝でストップする。この18連勝は昭和12年7月3日の阪急6回戦からスタートしたものであるが、同年7月10日の金鯱7回戦に先発した御園生は初回に先制点を許して2回で降板している。この試合はタイガースが一度も追い付くことなく中山正嘉に完封されて敗れており、現行ルールでは御園生が敗戦投手となるが、公式記録では三番手の若林忠志に敗戦投手が記録されている。昭和12年秋季リーグ戦の11連勝及び今季の6連勝プラス12年春季7月3日の勝利で計算すると18連勝であり、これが公式記録となっているが、7月10日を実質敗戦投手とすると17連勝となる。この記録は後年松田清と稲尾和久に破られたので7月10日の件は全く話題になることはなかったが、もし松田と稲尾が抜いておらず日本記録のままであったなら、稲尾とスタルヒンのシーズン42勝の時のような論争の種になっていた可能性がある。



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