2011年1月7日金曜日

13年春 阪急vsセネタース 3回戦

6月4日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 1 0 2 阪急     9勝6敗  0.600 浅野勝三郎
0 0 3 0 0 0 0 0 X 3 セネタース 6勝10敗 0.375 浅岡三郎


勝利投手 浅岡三郎   3勝5敗
敗戦投手 浅野勝三郎 2勝1敗


二塁打 (阪)黒田、山下実 
三塁打 (セ)遠藤
本塁打 (セ)苅田 2号



苅田久徳、二試合連続3安打


 阪急は初回、先頭の西村正夫が四球で出塁、上田藤夫右前打、黒田健吾の三前バントが内野安打となって無死満塁、山下好一の当りはライト前への飛球、これが9-4-6と渡って一走黒田が二封され記録はライトゴロとなる間に西村が還って1点を先制してなお一死一三塁。次のプレーはもっとややこしい。打者宮武三郎の時に一走山下好一がスタート、キャッチャー北浦三男は二塁に送球、カットした苅田久徳はサード横沢七郎に送球して三走上田を釣り出す。上田が三本間に挟まれて挟殺プレー、これにピッチャー浅岡三郎が加わり浅岡から三塁ベースカバーに入ったショート今岡謙次郎に渡って上田はタッチアウト、そこに走り込んできた山下好一もアウトとなって結果的にダブルプレーとなる(下記「*注」参照)。

 セネタースは3回、この回先頭の苅田がレフトスタンドに二試合連続となる第2号ホームランを叩き込んで1-1の同点。更に北浦左前打、遠藤忠二郎が中越えに三塁打を放って2-1と逆転、浅岡の三ゴロに遠藤が突っ込みサード黒田からのバックホームをキャッチャー大原敏夫がエラーして遠藤が生還し3-1とする。

 遠藤は2~7回まで2安打3四球で毎回のように走者を出すが阪急打線は決定打を欠き得点はならず。阪急は8回、先頭の西村が中前打で出塁、黒田の左翼線二塁打で西村が還り2-3と追いすがる。最終回も代打山下実監督が右中間に二塁打を放つが後続無くセネタースが接戦を制す。

 浅岡三郎は7安打5四球2三振の完投で3勝目をあげる。浅野勝三郎も11安打を浴びながら2四球3三振で好投したが及ばず。苅田久徳は二試合連続ホームランと共に二試合連続4打数3安打の活躍。

 (*注)
 スコアブックには上田藤夫には「2・4・5・1-6」で2アウト目が、山下好一には「b(上田藤夫)のプレーで三塁に進み6C」でスリーアウト目が記録されています。宮武三郎のカウント欄に「・)」とありますので、宮武の打席で山下好一が二盗を試み、セネタースのキャッチャー北浦三男からセカンド苅田久徳に送球されたところからこのプレーが始まったことが分かります。

 山下好一は上田が三本間に挟まれている間に二塁から三塁ベースに到達していたと考えられます。ピッチャー浅岡三郎が上田を追い詰めショートの今岡謙次郎に送球してタッチアウト(2アウト目)になったところに山下好一が滑り込んできてタッチアウト(3アウト目)というケースが考えられます。

 次に当ブログの立てた仮説を述べます。山下好一は上田が三本間に挟まれている間に三塁ベースに到達しており、浅岡が上田を追い詰め三塁ベースに二人が立つことになったケースです。山下好一は上田が三本間でタッチアウトになっても一つでも次の塁を狙うのがセオリーであり、三塁に走ったことは間違いありません。浅岡からの送球を受けたショートの今岡はまず上田にタッチしてから山下好一にタッチします。この場合占有権は上田にあるので山下好一がアウトになりますが、上田が「ミーがアウトね」と勘違い(上田はハワイ生まれの日系二世です)して離塁したところを今岡が再度タッチするとダブルプレーが完成します。草野球のようなプレーですが実際に近年のプロ野球でもありました。

 スコアブックの記載は上田藤夫が2アウト目、山下好一が3アウト目となっていますので上田が三本間でタッチアウトになり更に山下好一も三塁ベースを離れたところを今岡にタッチされたようにも見えますがこれは考えにくいので2アウト目と3アウト目の記載が逆になっていると考えるべきでしょう。挟殺プレイから発したダブルプレーなのでこのような記載になっているのか、或は記載ミスではないでしょうか。

 こう考える大きな理由として山下好一の経歴があります。山下好一は和歌山中学から慶應義塾大学に進み、甲子園に3回出場し六大学野球全盛期に神宮で活躍してるエリート中のエリートであり、野球ルールに関しては徹底的に叩き込まれています。上田藤夫氏には大変失礼ですが、おおらかなハワイ野球で育った上田の勘違いの可能性が高いのではないでしょうか。2010年現在においてもこういう細かなプレーにおいてはMLBよりもNPBの方が上であることは既に実証済みです。

 上田藤夫は戦後審判に転向してパ・リーグ審判部長にまで上り詰めることとなります。審判時代は帰りの電車で選手と一緒になりそうだとわざわざ一電車送らせて帰ったと伝えられるほど非常に清廉潔白、実直な人柄で知られています。もしかしたらこのチョンボを機会に野球ルールブックを猛勉強したことが後の名審判の基礎となったのかもしれません。


*このプレーを読み解けるようになれば旧式スコアブック解読の上級者と言えます。一見するとトリプルプレイのようにも見えますが、宮武三郎のカウント欄に「・)」とありますので、山下好一のライトゴロの後、宮武の打席で山下好一が二盗を試み、キャッチャーからセカンド苅田久徳に送球され苅田からサード横沢七郎に転送されて三本間の挟殺プレイが始まったことが分かります。















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