2011年1月25日火曜日

13年春 ジャイアンツvsライオン 4回戦

6月19日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 0 2 1 0 1 0 0 7 ジャイアンツ 16勝6敗   0.727 成田友三郎
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 ライオン      7勝15敗 0.318 大友一明 菊矢吉男


勝利投手 成田友三郎 2勝2敗
敗戦投手 大友一明   0勝2敗


二塁打 (ジ)中島
本塁打 (ジ)吉原 1号 (ラ)菊谷 1号


吉原正喜、プロ入り初ホームラン


 ライオンは大友一明が先発、レフトに菊矢吉男を入れて六番、二番を打つことが多い大友は先発ピッチャーを考慮されたのか五番に入り二番には四番も打つ水谷則一を入れる。鬼頭数雄がセカンドに入って三番。

 初回三者凡退のジャイアンツは2回、四番中島治康が左中間に二塁打、伊藤健太郎は右飛に倒れるが千葉茂は四球、永澤富士雄の二ゴロをセカンド左腕鬼頭数雄がエラーして一死満塁、吉原正喜は三振に倒れるが成田友三郎が押出し四球を選んで1点を先制、呉波押出し四球で2-0、キャッチャー原一朗のパスボールで3-0、ライオンは先発大友一明が降板して菊矢吉男を注ぎ込み白石敏男四球後水原茂を三ゴロに打ち取る。

 ジャイアンツは4回、この回先頭の永澤が四球で出塁、吉原が左翼スタンドにプロ入り初ホームランとなるツーランを叩き込んで5-0とする。続く5回、中島四球、伊藤一邪飛、千葉中前打、永澤中飛の二死一二塁で吉原が左翼線にタイムリーを放って6-0。更に7回、伊藤、千葉の連打から二死後成田が左前打を放ち二死満塁、呉がこの日二つ目の押出し四球を選んで7-0とする。

 ライオンは7回、菊矢が左越えにホームランを放って1-7とするがここまで。ライオンは今季チーム四本目のホームランであるが、鬼頭以外は桜井、大友、菊谷とピッチャーばかりが打っている。この現象が如実に証明していると思われるのであるが、当時の職業野球のレベルは現代の高校野球から大学1~2年レベルであったのではないかと推察される。センスに優るものがピッチャーをやり、バッティングでも主力となる。少なくともハイレベルの世界で起きる現象では無い。基本的には優秀な選手は東京六大学に進んでいるわけで、何らかの理由があって職業野球に身を投じるのはその下のレベルであり、現代であればBCリーグがそれに該当する。それが悪いと言っているのではないので誤解されないように。世の中には下には下がおり、最下層の典型的事例としては高校軟式、大学準硬式でしか通用しなかった私が証明している。

 成田友三郎は5安打2四球1死球5三振の完投で今季2勝目をあげる。

 昨年は三番水原茂、四番中島治康に得点源が偏っていたジャイアンツであるが、花の13年組から千葉茂、吉原正喜がレギュラーに定着して下位打線が締まってきた。七番にベテラン永澤富士雄を挟んで六番千葉、八番吉原が生きている。スケールはちょっと違うが1980年代後半のオークランド・アスレチックスでバッシュ・ブラザーズと言われた三番ホセ・カンセコ、五番マーク・マクガイアの間の四番にベテランのデーブ・パーカーを挟んで成功した事例に似ている。因みにと言うほどでもありませんが、デーブ・パーカーは強打と共に強肩で知られており、1979年オールスターではライトから三塁とホームに二本の補殺を決めて史上初めて守備だけでMVPに選出されました。イチローの場合は後ろから勢いを付けないとレーザービームになりませんが、デーブ・パーカーのオールスターの画像は結構見れますので一度ご覧あれ。当時のスポーツニュースでは何回も放映されて日本人の度肝を抜きました。

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