2011年1月20日木曜日

13年春 ライオンvsセネタース 3回戦

6月18日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
6 1 1 0 0 0 3 1 3 15 ライオン     7勝13敗      0.350 菊矢吉男 大友一明
1 3 0 2 1 0 0 1 1  9  セネタース 8勝12敗1分 0.400 浅岡三郎 伊藤次郎


勝利投手 菊矢吉男 7勝9敗
敗戦投手 浅岡三郎 3勝7敗
セーブ      菊矢吉男 1


二塁打 (ラ)菊谷2、水谷、大友 (セ)横沢、苅田
本塁打 (ラ)柳澤 1号、 (セ)苅田 4号


アテ馬


 ライオンは一昨日10失点でKOされた菊矢吉男が先発で六番に入る。一番(八)坪内道則から(四)大友一明、(七)鬼頭数雄、(三)桜井七之助までは一昨日と同じ。七番以降も(二)原一朗、(五)柳澤騰市、(六)中野隆雄と不動のメンバー。五番にほとんど出場経験の無いキャッチャー登録の日野弘美がライトでスタメンに名を連ねる。セネタースの先発は浅岡三郎である。

 ライオンは初回、先頭の坪内は遊飛に倒れるが大友が左前打で出塁、鬼頭右前打、桜井の中前タイムリーで大友が還り1点を先制する。ここで五番日野弘美に代わり代打水谷則一が左打席に入る。日野弘美は一度もバットを振ること無く、と言うよりバットを握ることも無くベンチに下がった。水谷は中前にタイムリーを放ち2-0、菊谷の左中間二塁打で二者還り4-0とする。更に原が四球、柳澤の三ゴロで原が二進して二死二三塁、中野の右前タイムリーで二者を迎え入れて6-0とする。

 セネタースは1回裏、先頭の苅田久徳が景浦、松木を抜いてホームランダービー単独トップに立つ第4号二試合連続先頭打者ホームランを放ち1点を返す。ライオンは2回、セネタース二番手の伊藤次郎を攻めて鬼頭、桜井の連打と水谷四球で一死満塁とし、菊谷が右前にタイムリーを放ち7-1とする。

 セネタースは2回、この回先頭の尾茂田叶が右前打、家村相太郎右前打、青木幸造の三ゴロをサード柳澤失する間に1点、磯野政次四球から苅田の三ゴロを又も柳澤がエラーする間に二者が還って4-7と追い上げる。ライオンは3回、一死一三塁から坪内の遊ゴロで1点追加して8-4とする。

 セネタースは4回、一死後横沢七郎中前打、磯野、苅田、伊藤が三連続四球を選んで押し出し、菊谷に代わって大友がマウンドに上がり、北浦の三ゴロの間に磯野が還って6-8、更に5回、尾茂田、磯野のヒットと柳澤のタイムリー二塁打で7-8の1点差に追い上げる。

 ライオンは7回、桜井の左前打と水谷の左翼線タイムリー二塁打で9-7、二死後柳澤騰市が右中間にホームランを叩き込んで11-7とする。更に8回、坪内、大友のヒットで一三塁から鬼頭が中犠飛を打ち上げて12-7、セネタースはその裏、苅田の二塁打と伊藤次郎のタイムリーで1点を返す。

 ライオンは9回、菊谷の二塁打と原のタイムリーで1点、更に坪内道則の内野安打と大友一明の左中間二塁打で3点を追加して15-8とする。セネタースも9回、横沢のタイムリーで1点返すが大勢に影響は無かった。

 小西得郎監督は日野弘美を偵察メンバーに使った。セネタースの先発が右腕浅岡三郎か左腕金子裕か読み切れず、左の水谷則一と右の煤孫伝のどちらを使うかで迷ったのであろう。プロ野球史上初のアテ馬の可能性が高い。

5 件のコメント:

  1. こんばんは!初めての偵察メンバーとは興味深い試合です。
    左投手に左打者は不利というセオリーは戦前からあったのですね。
    この試合の菊矢投手ですが、先発して3回1/3で打者20自責3、再登板後は4回で打者20自責2になりますか?
    被安打、奪三振、与四死球がもし分かれば教えて頂けませんでしょうか?

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    2. 先発した菊矢は3回3分の1を5安打4四球無三振、打者20、6失点、自責点3。6回から再登板して4イニングを5安打3四球1三振打者20、2失点、自責点2となります。

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  2. いつもすみません、ありがとうございます!
    当時のスコアカードを入手する、当時のスコアカードを読む、どちらも至難のことですが
    両方実行したうえに詳しい試合の流れをこうして文章に起こして公開して下さって
    本当にスーパーな方だと思っています。試合の中の流れや選手の動きだけではなく
    野球史全体の中でどういう位置の試合なのか、どんな選手なのかが大変勉強になります。
    ぜひ昭和24年まで完走して下さい!期待しています!

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    1. ネット時代になって、記録の集計に関しては多くの方々の努力により飛躍的に整備されてきたと思います。当ブログがやりたいことは、それらの整備された記録を参考にしながら、当時の選手がどのような立場に置かれてどのようなプレーを行ってきたかを解き明かすことです。
      偶然当時のスコアカードを入手することができたましたので、できる限り真実に近い実況中継を続けていくつもりです。これも、広瀬謙三氏、山内以九士氏等、数多くの野球人が関わって貴重なスコアカードを残してくれたおかげです。感謝の念を忘れずに、解読作業を続けていきます。このところちょっと仕事が忙しいので更新が遅れ気味なのですが(笑)。

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