2011年1月10日月曜日

13年春 セネタースvs金鯱 1回戦

6月5日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
3 0 0 0 0 0 0 0  2  5 セネタース 6勝11敗 0.353 金子裕 浅岡三郎
1 0 1 0 0 0 1 0 3X 6 金鯱          7勝11敗 0.389 古谷倉之助 中山正嘉


勝利投手 中山正嘉 4勝3敗
敗戦投手 浅岡三郎 3勝6敗


二塁打 (セ)伊藤
三塁打 (金)瀬井


小林茂太が4打点


 セネタースは初回、先頭の苅田久徳が左翼線にヒットを放ち出塁、すかさず二盗に成功する。森口次郎は三振に倒れ、遠藤忠二郎四球、綿貫惣司は二飛に倒れて二死一二塁、ここで五番に起用された伊藤次郎が中越えに二塁打を放って苅田が生還、更に先発の金子裕が中前にタイムリーで続き2-0とする。セネタースは六番までに三人のピッチャーが名を連ね、苅田と三投手で2点を先制する。当ブログでもかつて伊藤次郎は野手でも使うべきと提言したことがあるが、苅田監督にも届いたようである。

 金鯱は1回裏、先頭の五味芳夫が四球で出塁、続く江口行男も四球を選んで無死一二塁、瀬井清は左飛に倒れ、小林茂太の遊ゴロで江口が二封されて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて1点を返す。

 金鯱は3回、一死後江口が中前打で出塁、瀬井が左前打で続き、小林茂の中前タイムリーで江口を迎え入れて2-3とする。更に7回、一死後瀬井が左中間に三塁打、小林茂の二ゴロの間に瀬井が還って3-3の同点に追い付く。金鯱先発古谷倉之助は4回二死から今岡謙次郎に中前打と盗塁を許し苅田を四球で歩かせたところで二番手中山正嘉と交代、中山がセネタース打線を無得点に抑えていたところ同点に追い付いたものである。

 セネタース先発金子裕は6回、二死から鈴木鶴雄を一ゴロに打ち取るがっこれをファースト綿貫がエラー、中山を歩かせ佐々木常助に中前打を許して二死満塁としたところで二番手浅岡三郎と交代、浅岡は五味を三ゴロに打ち取って切り抜けたが7回、金鯱に同点に追い付かれた。

 セネタースは9回、この回先頭の今岡が四球で出塁、トップに返り苅田が送って、二死後遠藤四球で一二塁、四番綿貫が中前にタイムリーを放ち4-3として遠藤も三塁を陥れてなお二死一三塁、ここで中山が痛恨のワイルドピッチ、遠藤が還って5-3とする。

 金鯱は9回裏、この回先頭の佐々木が中前打で出塁、五味が左前打で続き、江口が送って一死二三塁と一打同点のチャンス、瀬井が四球を選んで一死満塁、ここで小林茂が右前に起死回生の同点タイムリーを放って5-5としてなお一三塁、小林茂が二盗を決めて古谷倉之助四球で二死満塁、松元三彦が中前にサヨナラタイムリーを放って金鯱が6対5でセネタースに逆転サヨナラ勝ち。

 小林茂太は5打数2安打4打点、金鯱の全得点に絡んだ。当時クラッチヒッターという言葉があったか否かは不明であるが、当代随一のクラッチヒッターである。今風にいえばRBI(Run batted in)マシーン。


  メジャーリーグ随一のRBIマシーンと言えばマニー・ラミレスを指します。90年代最強打線を誇ったクリーブランド・インディアンス(本来はインディアンズ、これを言ってしまえばヤンキースも本来はヤンキーズなのですが)で90年代最強の右打者であるアルバート・ベルの後継者となり、以降メジャー18年で積み重ねた打点は1,830打点となりました。2008年シーズン半ばにレッドソックスからロサンジェルス・ドジャースにトレードで出された時は松坂以降の似非レッドソックスファンが「これで厄介払いができた」と大騒ぎしていましたが、1975年のフレッド・リン以来のボストン・レッドソックスファンの私はこれでレッドソックスの時代は終わったと直感的に感じたものです。ステロイド問題で批判の嵐となっていますが、その前にマニーのおかげで勝ち取ることができた二度のワールドチャンピオンを返上しろと言いたい。











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