2012年1月4日水曜日

14年 阪急vsイーグルス 7回戦


8月12日 (土) 横浜


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 1 1 0 1 2 0 0 0 8 阪急       38勝18敗       0.679 荒木政公 石田光彦
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 イーグルス 17勝36敗1分 0.321 亀田忠 古川正男


勝利投手 荒木政公 6勝1敗
敗戦投手 亀田忠     8勝14敗
セーブ   石田光彦 1


二塁打 (阪)浅野 (イ)太田、漆原、岩垣
三塁打 (阪)山下好、浅野

浅野勝三郎、5打数3安打2得点3打点


 昭和12年以降では初の公式戦が横浜平和球場で行われた。正式名称は「横浜平和公園球場」のようですが当ブログでは「横浜平和球場」とさせていただきます。当時の読売新聞には「横浜公園球場」と書かれています。

 阪急は初回、亀田忠の立ち上がりを攻めて二試合連続で一番に起用されたフランク山田伝が左前打で出塁、この日二番に起用された浅野勝三郎が右中間にタイムリー二塁打を放って1点を先制、パスボールで浅野は三進、黒田健吾の中前タイムリーで2-0、黒田が二盗を決めて山下好一の二ゴロで三塁に進み一死三塁、ここでキャッチャー清家忠太郎から亀田への返球が悪送球となる草野球並みのプレーが出て黒田が還り3-0とする。

 阪急は2回、森弘太郎、林信一郎が連続四球、清家が2つ目の捕逸を犯して森が三進、荒木政公が右前にタイムリーを放って4-0とする。なお無死一三塁から山田は投ゴロ、ピッチャー亀田が二塁に送球すると三走林がスタート、ショート高須清からキャッチャー清家に転送されて林はタッチアウト、「1-6-2」のダブルプレーが完成する。本日のイーグルスでは唯一の見せ場であった。

 阪急は3回、黒田の右前打と山下好一の中越え三塁打で1点追加して5-0とする。

 阪急は5回、浅野の中前打と黒田の左前打で無死一二塁、イーグルスベンチはここで亀田に代えてリリーフに古川正男を送る。山下好一の右飛で浅野が三塁に進み一死一三塁、古川のワイルドピッチで浅野が還って6-0とする。

 阪急は6回、先頭の石井武夫が右前打で出塁、林の三ゴロでランナーが入れ替わり、荒木の投ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り山田の四球で二死一二塁、ここで浅野が右中間に三塁打を放って二者を迎え入れ8-0とする。

 阪急は7回から先発の荒木政公に代えて二番手に石田光彦をマウンドに送る。石田は3イニングを1安打1四球無失点に抑えて荒木ー石田による完封リレーが完成する。石田には当ブログルールによりセーブが記録される。


 二番に起用された浅野勝三郎が5打数3安打2得点3打点、二塁打1本、三塁打1本の活躍を見せる。浅野は旧姓山田勝三郎時代の明石中学では中京商業との延長25回の激闘の時の一番打者。澤村以上と言われた楠本保と25回を投げ切った中田武雄は慶應義塾大学に進んだが浅野はプロへの道を歩んだ。楠本と中田はその後戦死する。浅野の消息は不明であるが「鎮魂の碑」には名前が見られないので恐らく生き延びたのであろう。


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