2012年1月9日月曜日

ガスハウスギャング ④


 1940年代最強チームがセントルイス・カージナルスであったことに異論を挟む人はいないでしょう。1942、43、44、46年にナショナル・リーグを制し、42、44、46年にはワールドシリーズも制しています。1940年代のナショナル・リーグMVPにはカージナルスから延べ5人が選出されています。すなわち42年はモート・クーパー、43年はスタン・ミュージアル、44年はマーティ・マリオン、46年はスタン・ミュージアル、48年もスタン・ミュージアル。スタン・ミュージアルの登場によってカージナルスの第二期黄金時代が到来した訳です。

 1941年シーズン終了間際にメジャーデビューしたミュージアルは12試合に出場して4割2分6厘をマークしました。42年のシーズンはドジャースとのつばぜり合いが続きました。9月22日のパイレーツ戦(パイレーツを率いるのはガスハウス・ギャングを率いたフランキー・フリッシュ)、パイレーツに3点リードされたカージナルスはミュージアルの満塁ホームランによって息を吹き返し、この年106勝をあげて104勝のドジャースに競り勝ち、ワールドシリーズでもジョー・ディマジオ率いるニューヨーク・ヤンキースを4勝1敗で降して1934年以来のワールドチャンピオンに輝きます。

 43年は最初のMVPに輝きリーグ二連覇を達成しますがワールドシリーズではヤンキースの返り討ちにあいます。44年はリーグ三連覇を達成しワールドシリーズは史上初のセントルイス対決となりセントルイス・ブラウンズを降して五度目のワールドチャンピオンになりました。

 スタン・ミュージアルは45年1月23日に応召し、46年に復帰します。この年外野からファーストにコンバートされています。46年はブルックリン・ドジャースとセントルイス・カージナルスが同率で並び、3回戦のプレーオフが行われました。ブルックリンの教会では祈祷式が行われたと伝えられています。第一戦はミュージアルがタイムリー三塁打を放ちカージナルスを勝利に導き、第二戦にも連勝してボストン・レッドソックスとのワールドシリーズに向かいます。テッド・ウィリアムス率いるレッドソックスを撃破して六度目のワールドチャンピオンに輝きました。


 スタン・ミュージアルの代名詞である「ザ・マン」は「男の中の男」の意味だと勘違いされている人が太宗を占めていますが、46年のシーズンからドジャースファンに「ザ・マン」と呼ばれるようになったものです。したがって意味は「またあいつか」、「あの野郎」です。


 スタン・ミュージアルは選手晩年の昭和33年(1958年)に日米野球に参加するため来日しています。10月20日にやって来て日本で16試合を行っています。私が生まれたのがミュージアルの来日中でした。野球に興味がなかった亡き父と一度だけ大リーグの話をしたことがありましたが、話題はスタン・ミュージアルでした。




*1944年にナショナル・リーグMVPに輝いたマーティ・マリオンのサイン入りカード。


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