2012年1月24日火曜日

14年 南海vs阪急 8回戦


8月24日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 南海 25勝35敗3分 0.417 宮口美吉 天川清三郎
0 0 2 0 0 0 0 0 X 2 阪急 43勝20敗1分 0.683 石田光彦


勝利投手 石田光彦 8勝5敗
敗戦投手 宮口美吉 6勝10敗


二塁打 (南)天川 (阪)上田


本塁打 (阪)山下好 1号


山下好一、決勝ツーラン  


 南海は初回、平井猪三郎遊ゴロ、小林悟楼四球、鶴岡一人の三ゴロの間に小林は二進して二死二塁、岡村俊昭のゴロは右に飛びセカンド・フランク山田伝が軽快に捌いて一塁アウト。セカンドに入って3試合目となる山田に初めてゴロが飛んだ瞬間である。21日の金鯱戦は小林利蔵の二飛で刺殺1が記録されただけで補殺はゼロ。23日のセネタース戦も野口二郎の二直と二飛、苅田久徳の二飛と横沢七郎の二飛で刺殺4が記録されただけで補殺はゼロ。ゴロもヘソ捕りしたかどうかは残念ながら不明。3回の宮口美吉の二ゴロも無難に捌いて本日は2補殺1刺殺を記録した。次の試合から本職のセンターに戻るので内野手としては現在のところ守備率10割である。
 
 阪急は3回、先頭の浅野勝三郎が中前打で出塁、山田は遊飛に倒れるが、山下好一が右翼スタンドにツーランホームランを叩き込みこれが決勝点となった。翌日の読売新聞には「逆風を物ともせず左翼席に飛び込んで」と書かれていますがスコアブックの記載は「ライトへのホームラン」になっています。
 
 南海は5回、先頭の国久松一が四球を選んで出塁、中田道信の遊ゴロの間に国久は二進、天川清三郎が左中間に二塁打を放って1-2とする。
 
 6回以降、南海は8人の走者を出すが無得点に終わった。翌日の読売新聞によると「三度に亙る重大失走」があったとのこと。6回一死後鶴岡が四球で歩き二盗に成功、岡村も四球を選び一死一二塁、ここで鶴岡が三盗に失敗した。岡村は走っておらず鶴岡の単独スチールだったようで、鈴木惣太郎は「この盗塁が重盗であれば2対1と迫った時の攻法として首肯し得るが岡村は一塁にその儘留まり重盗とは受取れなかった」と論じている。7回は先頭の国久が左前打、中田が送って一死二塁から天川が左前にヒットを放つ。レフト山下好一のジャッグルを見て三塁コーチャーズボックスの鶴岡が本塁突入を指示したが山下好一からの送球を中継したピッチャー石田光彦からのバックホームにタッチアウト。鶴岡の談話は「悪いことをした、ファンブルを眺めたので急に気を変えて走らせたのが失敗だ」。8回は先頭の小林悟楼が四球で出塁するが二盗に失敗。鈴木惣太郎は「この盗塁は野球常識から判じても無法」と断じている。一塁コーチャーズボックスの高須一雄監督の談話は「擬似サインを盗塁サインと見違えたのだ」。
 
 南海の拙走に助けられて石田光彦は10四球を出しながら3安打2三振1失点の完投で8勝目をマークする。
  

 決勝ツーランの山下好一はプロではこれが昭和11年も含めると通算7本目の本塁打であり、プロでは最後のホームランとなる。和歌山中学-慶應義塾大学という超エリートコースを歩んだ割りには同じ慶應義塾大学の山下実、宮武三郎よりも知名度では劣ります。因みに慶應義塾大学時代は通算44本のヒットを放っていますが本塁打はゼロです。典型的な中距離ヒッターであったと考えられます。ここが長距離ヒッターであった山下実と宮武三郎との知名度の差となった要因でしょう。
 
 和歌山中学は現・和歌山県立桐蔭高等学校で和歌山県随一の名門校です。校訓は「文武両道、改革と伝統」。和歌山中学の野球部は大正時代から昭和初期にかけては圧倒的な存在感を誇り、夏の甲子園には第1回大会から14年連続出場しています。一軍がアメリカ遠征中は二軍で和歌山県予選を勝ち進み一軍がアメリカから戻ってきて甲子園で優勝していました。井口新次郎、小川正太郎と著名選手は早稲田大学に進みますが山下好一は何故か慶應義塾大学に進んでいます。


 和歌山中学出身者で最大の著名人と言えば南方熊楠となります。在野の天才として名高く、昭和天皇の師匠でもあります。一応、博物学者、生物学者、民俗学者と言われていますがあらゆる分野で才能を発揮しています。球界では前述の井口新次郎、小川正太郎と山下好一以外では当ブログにも登場した島本義文、「おとおぼけのウーやん」こと宇野光雄、一般的に圧倒的に有名どころで西本幸雄となります。近年では津本陽、竹中平蔵のような文化人、経済学者しか出ておらず、校訓である「文武両道」はどこに行ってしまったのでしょうか。

 おとおぼけのウーやんは山下好一と同様に慶應義塾大学に進み東京六大学では飯島滋弥等と「百万ドル内野」を形成し、プロでは監督まで務めています。飯島滋弥も千葉県随一の名門・千葉中学(現・千葉県立千葉高等学校)の出身となります。飯島滋弥はプロでは一試合11打点を記録し、東映のコーチ時代に大杉勝男に「大杉君、あの月を目がけて打ちなさい」とアドバイスして大杉がホームランバッターとして開眼したことで有名です。「月に向かって打て」でググってみてください。大杉は47歳で早逝しています。大杉の死去を伝えたプロ野球ニュースでは中井美穂(古田夫人)が泣いていました。





     *山下好一が第二打席で決勝のツーランホームランを放った場面。




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