2012年1月14日土曜日

ツネゴン


 故津田恒実投手の野球殿堂入りが伝えられています。あまりにも当然のことなので取り立ててコメントする必要もないのですがコメントさせていただきます。
 
 ツネゴンが我々の前に姿を現したのは昭和53年センバツに初出場した南陽工業のエースとしてでした。この時は準々決勝で福井商業に敗れました。夏の甲子園にも南陽工業を初出場に導きます。この時の1回戦の対戦相手は澤村栄治の地元である宇治山田商業でした。ルーキーシーズンから3年間付けていた背番号15は、昭和60年から澤村と同じ14に変わりました。アサヒグラフの1回戦のコメントは「本大会ピカ一の好投手の呼び声高い津田を擁する南陽工」。2回戦の天理戦で八番セカンドの若井康至に甘いカーブをレフトラッキーゾーンに運ばれて0対1で敗れました。津田はこの時カーブで逃げたことを反省して有名な座右の銘「弱気は最大の敵」をボールに書いて戒めていたと伝えられています。

 高校の時もドラフト候補だったと記憶していますが協和発酵に進み、昭和56年のドラフトで広島に1位指名されて昭和57年に新人王となりました。この頃は先発投手でした。その後は低迷しますがリリーフに回ってから復活します。但し、単調なピッチングで、私には打たれた記憶の方が多いのも事実です。ツーアウト満塁の場面でランディ・バースをオールストレートで三球三振にした頃が全盛期です。


 夫人の著書「最後のストライク」が映像化されてフジテレビで放映されたのは平成12年のことです。シーズン中でしたので広島の試合があり、広島ナインは生放送では見る事ができずビデオで見たとのことでした。宇崎竜童が演じた安仁屋コーチが良かった。因みに津田の最初の背番号15は阪神から広島に帰ってきた安仁屋宗八から受け継いだものです。山本浩二もホテルの支配人役として出演していました。左のワンポイントリリーバー清川栄治も出演しています。この時寺脇康文が演じた「ペイさん」こと北別府学も同時に殿堂入りが報じられています。因みに寺脇康文と津田を演じた岸谷五朗とは売れない役者時代の仲間でした。北別府のニックネーム「ペイさん」は当然トン・ナン・シャー・ペイの「ペイさん」です。


 ツネゴンの殿堂入りにより、原辰徳の左手をへし折った剛球が、永遠に語り継がれることとなりました。




*津田の14番時代のサインはよく見かけますが15番時代は珍しい。字体も違います。






*安仁屋宗八のサイン入りカード。見舞いにきた安仁屋コーチに朦朧とした意識の中で「安仁屋さん、飲み過ぎんように」と呟いたのは余りにも有名なエピソードです。フジテレビで放映された「最後のストライク」では津田が死んだ夜、宇崎竜童演じる安仁屋コーチが屋台でコップ酒をあおりながら「ツダ~~~!」と叫ぶシーンが印象的でした。「最後のストライク」はビデオ化もDVD化もされていないはずなのでもう見ることはできませんが。






*広島、近鉄でワンポイントリリーバーとして活躍した清川栄治のサイン入りカード。津田の親友としてはイケメン・森脇浩司が有名ですが、清川とも仲が良かったようです。清川はサイドからの大きなカーブが特徴で技巧派と見られがちですが通算の奪三振率は9.00を上回っています。すなわち、投球回数より多くの三振を奪いました。
 「最後のストライク」には、清川のプロ入り初勝利が掛かった試合にリリーフした津田が打たれて清川の初勝利を消してしまった夜、清川の部屋に何度も謝りに来て清川に「もういい!」と怒鳴られるシーンが収録されていました。








*津田と共に野球殿堂入りした「ペイさん」こと北別府学のサイン入りカード。スピードは無かったがコントロールとシュート、スライダーによる左右の揺さぶりで通算213勝をあげました。



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