2011年1月15日土曜日

国府台球場

 今月のスポニチの「我が道」(スポニチ版「私の履歴書」、1ヵ月かけて半生を綴る)は西本幸雄氏です。西本氏がこの手の回顧録を書くのはこれが初めてとのことです。昨日の第13回は毎日オリオンズ二軍監督時代に触れておられます。「指導者は私とコーチの山田潔だけ。」、山田潔は昭和13年にイーグルスに入団して現在実況中継でルーキーとして攻守に活躍しています。人望が厚く、戦後長くコーチを務めています。
 ここで「2軍練習場は千葉県市川市の市営球場だった。」、「合宿所は市川市国府台(こうのだい=筆者注)にあった。近くには江戸川から分かれた真間川が流れていた。」と触れています。

 
 私の実家は国府台の隣の市川市国分(こくぶん)、市営球場=通称「国府台球場」までは歩いて10分です。小学校時代に巨人の2軍戦があり見に行ったことはありますが、毎日オリオンズの2軍が居たとは知りませんでした。


 と言うことで国府台球場周辺をご紹介します。国府台球場は千葉県高校野球夏の予選の初めの方で使われますのでよく観戦に行きました。隣が千葉商科大学、道路を挟んで和洋女子大、脇に私が通っていた真間山幼稚園があります。因みに商大付属高校は実家から徒歩5分、平沼投手を擁してセンバツに出場したことがあります。平沼はプロでは清原にバットを投げつけられて向かって行ったことで有名です。


 少し松戸方面に上って行くと桜で有名な里見公園、市川駅方面に降りて行くと西本氏も触れている真間川に出ます。真間川は江戸川に注いでいるので「江戸川から分かれた」のではないと思います。手児奈(てこな)伝説で有名な神社を抜けると我が母校真間小学校に出ます。


 西本氏が二軍監督時代の一軍監督は別当薫氏で昨日の「我が道」にも登場しています。別当氏の奥さまがミス神戸であったことはWikipediaにも紹介されていますが、この奥さまの生家は私の祖父母が住んでいた神戸市須磨区の実家の2、3件隣で、祖母と奥さまのお母さんがとても仲が良かったと聞いています。




 小学校時代に見に行った国府台球場で行われた巨人の二軍戦(相手は忘れました)では相羽が四番を打って左中間に痛烈な二塁打を放ちました。上田がエラーして三塁側スタンド近くまでボールを追ってきた場面がありました。私の目の前でボールを捕ったわけですが、最も間近に見たプロ野球選手となりました。すでにこの時アンチ巨人だったからかは分かりませんが三塁側スタンドで見ていたようです。


 と言うことでアンチ巨人の私も例外的に相羽と上田だけはファンになりました。この時投げていたのが左腕の益田です。益田が巨人にいたのは昭和42年までですから仮にこの試合が昭和42年だとしたら小学校3年の時になります。但しこの時点で巨人が嫌いだったかどうかは明確には覚えていません。益田は西鉄に移り黒い霧で永久追放となりましたが、この黒い霧事件をきっかけに私が西鉄ファンになった訳ですから不思議な縁と言えるでしょう。



 *V9時の上田武司のサイン。上田のサインがV9メンバーと一緒に入ることは珍しいでしょう。


 


*相羽欣厚のサインはもっと珍しい。背番号34は昭和37~39年に付けていたようです。昭和40年に金田が国鉄から移ってきて当然の如く34を付けることになりました。天皇には逆らえませんね。金田引退後は34は永久欠番になりました。








2 件のコメント:

  1. 毎日オリオンズ国府台球場で検索してきました。私はこの球場の近くで育ち近くの三橋青果店によく選手が来たのを覚えています。大映の映画スターに転身した橋本力氏はよく覚えています。今度球場がなくなるのは残念です。

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    1. 私の実家は国分4丁目です。今は東京に住んでいるので最近の様子は知りませんでしたが、建て替えられるようですね。

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