2010年6月13日日曜日

衝撃のデビュー

 2010年6月8日、ワシントン・ナショナルズのスティーブン・ストラスバーグが7回14三振という衝撃的デビューを飾りました。そこで、緊急特別企画として、当ブログ的衝撃的デビュー史をお伝えいたします。

① スクールボーイ・ロウ
 大リーグ史における衝撃的デビュー第1号と言えば、1934年、デトロイト・タイガースに彗星のごとく登場したスクールボーイ・ロウ(ローと記載されることもあります)を指します。当時の記録を破る16連勝を達成し、全盛期のニューヨーク・ヤンキース(この年ルー・ゲーリッグは三冠王)を倒してアメリカン・リーグチャンピオンとなる原動力となりました。日本でいえばルーキーシーズンの堀内をイメージすればよいかと思います。

 昭和9(1934)年の秋、京都商業を中退したばかりの澤村栄治が草薙でベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックス、チャーリー・ゲーリンジャーから四連続三振を奪ったニュースは瞬時にアメリカに打電され、澤村に「スクールボーイ」のニックネームが付けられましたが、これはこの年にスクールボーイ・ロウの衝撃的デビューがあったばかりだったことに起因しております。現在当ブログでは澤村の全盛期に該当する昭和12年春季リーグ戦の模様を実況中継しているわけですから、当ブログとも因縁浅からぬ仲と言えるでしょう。

*写真は少年ファンにサインをするスクールボーイ・ロウの写真にスクールボーイ・ロウがサインをいれたもの。スクールボーイ・ロウのサインは日本ではちょっと珍しいかも。






② ボブ・フェラー
 「火の玉投手」の異名を持つ伝説の快速球投手。晩年はスライダーを駆使したことから「スライダーの元祖」とも呼ばれますが、スライダーを開発したわけではないと思います。日本でも藤本英雄が「スライダーの元祖」と呼ばれていますが、昭和12年時点においても西村幸生や北井正雄が投げていた十字架球は現在のスライダーと考えられており、藤本が開発したわけではないようです。

 1936年、クリーブランド・インディアンスでデビューした時は17歳、いきなり17三振の記録を作り衝撃的デビューを飾りました。因みにストラスバーグの最速は今のところ103マイルのようですが、ボブ・フェラーは104マイルとも言われています。 

*ボブ・フェラーは現在も存命であり、サインを書きまくっています。




③ バイダ・ブルー
 1971年、24勝をあげてMVPとサイ・ヤング賞をダブル受賞して衝撃的デビューを飾りました。この活躍は遠く日本でも伝えられ、私が大リーグに興味を持つきっかけとなりました。スペルからみるとヴァイダ・ブルーが正確であり、実際のデビューは1969年であり、1970年秋にはノーヒット・ノーランもやっているわけですが、大きく花開いた1971年こそが衝撃的デビューの年であったと思いますし、当時、日本の中学1年生が目にできるほどのニュースとして伝えられたのは間違いなく1971年のことでした。

 オークランド・アスレチックスは1972年から74年まで3年連続ワールドシリーズを制覇しますが、ワールドシリーズではバイダ・ブルーはリリーフで活躍していた印象が強く、残念ながらワールドシリーズでは勝利投手となることはありませんでした。

 当ブログでもよく引用させていただいている松木謙治郎氏著「タイガースのおいたち」にもバイダ・ブルーが登場します。松木氏が昭和6年にレフティ・グローブと対戦した時のことに触れている場面で「先年米球界に突如として現れ、22勝8敗(筆者注:24勝と勘違いか)の好成績でMVPに選ばれた黒人の左腕投手バイダ・ブルーが、このグローブの再来だといわれる。」と記述されております。同著の第1版は1973年3月ですから松木氏が原稿を書いていたのは1971年から72年と考えられます。プロの評論家の耳にも1971年の活躍が衝撃的デビューとして届いていた様子がうかがえます。

*写真はバイダ・ブルーのサインボール。



④ ドワイト・グッデン
 1984年、19歳で衝撃的デビューを飾り翌85年にサイ・ヤング賞を受賞。「ドクターK」と呼ばれ、シェイ・スタジアムではグッデンが三振を取るたびに「Kボード」が掲げられるのが名物となりました。現在、世界中でKボードが見られますがその元祖こそがドワイト・グッデンです。ストレートの伸びもさることながら、落差の大きいカーブが最大の魅力であり、私がリアルタイムで見たピッチャーの中で最も澤村栄治とイメージが似ているピッチャーだと思います(日本では全盛期の権藤博が最も似ていると言われておりますが残念ながらリアルタイムでは見ておりません。)。

 1986年のオールスターゲームの先発投手はアメリカン・リーグがボストン・レッドソックスのロジャー・クレメンス(この年20三振を記録して実質的衝撃的デビューを飾る)、ナショナル・リーグがニューヨーク・メッツのドワイト・グッデンということで大いに盛り上がり、日本でもフジテレビ(解説が堀内氏なので日本テレビかもしれません)で中継され、当時録画したビデオテープは今でも鮮明に再生することができます。

 なお、ロジャー・クレメンスについては最初の20三振をやった1986年が実質的デビューではありますが実際は3年目であり、また、当時からずっとクレメンスよりグッデンが上と言い続けてきた手前もあり本日の列伝からは除かせていただきます。

*写真は1986年オールスターゲームの日本での中継を録画したビデオ。マドンナ東京公演と千代の富士vs北尾戦も一緒に入っています。




⑤ ジョナサン・パペルボン
 当時のスカパーの放映で2006年春初めて見た瞬間にロジャー・クレメンスの再来と一人大騒ぎ状態に陥りました。現在メジャー最高のクローザーであることに疑いをはさむ余地はありません。松坂大輔も何回助けられたことか。

*写真は2006年5月11日にヤンキースタジアムのマウンドで実際に使用されていたピッチャープレートにパペルボンがサインを入れたもの。旧ヤンキースタジアムのピッチャープレートは定期的に交換され、使用済みプレートはMLB公式ルートを通じて市販されております。当時のプレートを購入したボストンのメモラビア業者がトライスター社と共同でパペルボンの公式サイニング会を開催し、パペルボンにサインを入れてもらったものを入手したものです。この日はパペルボンがヤンキース戦で初セーブをあげたゲームであり、偶然にも松井がレフトで捕球の際に手首を骨折した試合でもあります。サインボールはこの試合で実際に使用された公式球にパペルボンがサインを入れたもの。パペルボンは現在は省略形のサインしか書きませんので貴重な一品となりました。















⑥ ティム・リンスカム
 初めて見たのは2008年のスカパーの放映。2007年にも投げていたことは後から知りました。ボブ・フェラーの再来とも、左と右の違いがありながらもサンディ・コーファックスの再来とも言われております。初めて見たときにはボブ・フェラーやサンディ・コーファックスと比較されているという噂は耳にしておりましたが、一目見て惚れ込みました。いわゆる正統派のストレートとカーブにチェンジアップを交えた投球で三振の山を築きます。現役投手では最も澤村栄治に近い存在であると思っております。


*リンスカムのサインはカードしか持っておりません。












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