2012年10月15日月曜日

15年 名古屋vsセネタース 5回戦



6月7日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 名古屋       21勝13敗2分 0.618 西沢道夫 大沢清
0 4 0 2 0 0 0 0 X 6 セネタース 22勝11敗3分 0.667 野口二郎

勝利投手 野口二郎 13勝4敗
敗戦投手 西沢道夫   6勝5敗

二塁打 (名)高木 (セ)苅田
三塁打 (セ)横沢
本塁打 (セ)織辺 1号

勝利打点 佐藤武夫 3


八番佐藤、九番織辺で6打点

 セネタースは2回、先頭の小林茂太がストレートの四球で出塁、柳鶴震は捕邪飛に倒れるが横沢七郎がワンスリーから四球を選んで一死一二塁、石井豊の投ゴロで二者進塁して二死二三塁、八番佐藤武夫が中前に先制の2点タイムリーを放って2-0、続く九番織辺由三がレフトスタンドにツーランホームランを叩き込んで4-0とする。

 名古屋は3回、二死後高木茂が四球で出塁、村瀬一三の三ゴロをサード横沢がエラー、桝嘉一が四球を選んで二死満塁、大沢清が押出し四球を選んで1-4とする。

 名古屋は3回から先発の西沢道夫が降板してファーストの大沢がマウンドに上がる。

 セネタースは4回、横沢が中越えに三塁打、翌日の読売新聞によるとこれはセンター高木が後逸したものとのことであるがエラーは記録されておらず記録は三塁打、石井がストレートの四球で歩いて無死一三塁、佐藤が左前にタイムリーを放って5-1、織辺も左翼線にタイムリーを放って6-1として試合を決める。

 野口二郎は3回にコントロールを乱して1点を失ったが4回以降を締めて5安打4四球9三振、自責点0の完投でハーラー単独トップに躍り出る13勝目をあげる。野口は5月21日の名古屋戦で1回に自責点を記録して以来、46回3分の1連続自責点0を続けている。


 セネタースはジャイアンツを抜いて首位に立った。六番の横沢七郎が3打数3安打を記録、八番佐藤武夫と九番織辺由三が3打点ずつを記録した。


 織辺由三は育英商業(現・育英高等学校=1993年夏の甲子園優勝校)の出身。育英高校は戦後、巨人V9の立役者の一人だった土井正三、300勝投手の鈴木啓示など多数のプロ野球選手を輩出している。これまで当ブログに登場したのは酒沢政夫、松岡甲二、織辺由三だけとなる。酒沢政夫は戦後も活躍を続け、1951年には規定打席に達した打者としての最少三振記録となる「6個」を記録することとなる。同年には川上哲治も三振6個で現在まで残る日本記録は酒沢と川上のものとなっている。酒沢は363打数で6三振、川上は374打数で6三振であった。因みに酒沢政夫は通算3,819打数で168三振、川上哲治は通算7,500打数で422三振で、酒沢は史上最も三振をしない打者の一人となる。









*野口二郎は5安打自責点0の完投でハーラートップに踊り出る13勝目をあげる。野口はこれで46回3分の1連続自責点なしを継続中となった。

















*佐藤武夫と織部由三が3打点ずつを記録したセネタース打線。ジャイアンツを抜いて首位に躍り出た。

















 

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