2011年1月30日日曜日

13年春 阪急vs名古屋 4回戦

6月26日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 阪急   13勝9敗   0.591 石田光彦
0 0 0 0 0 1 0 2 X 3 名古屋 8勝18敗 0.308 西沢道夫


勝利投手 西沢道夫 1勝1敗
敗戦投手 石田光彦 3勝4敗


二塁打 (名)西沢


少年投手西沢道夫、プロ入り初勝利を飾る


 ダブルヘッダーの第二試合となる名古屋は西沢道夫がプロ入り初先発。一方、この後の第二試合でジャイアンツ戦を控えている阪急は石田光彦が先発。名古屋はここ2試合で3安打と打撃不振が続いている。桝嘉一、石田政良がバットマンレース第一位、二位を占めていたころの勢いは今いずこ。

 西沢は初回一死後黒田健吾を四球で歩かせるが、黒田の盗塁を先輩キャッチャー三浦敏一が刺してくれて気が楽になったようだ。2回二死後上田藤夫に左前打を許すが3回以降6回まで4イニング連続三者凡退に抑える。ここまでの影のヒーローは三浦である言える。

 怪人投手石田も16歳の少年投手に負けるわけにはいかず、5回まで大沢清に許した右翼線ヒット一本に抑える。

 名古屋は6回、この回先頭の西沢道夫が左中間に二塁打を放って出塁、九番に下がった石田政良が送って一死三塁、トップに返り桝嘉一がセンター右にタイムリーを放って1点を先制する。

 7回まで1安打の阪急は8回、唯一のヒットを放っている上田が二本目のヒットを左前に放ち無死一塁、宇野錦次も左前打で続き無死一二塁、大原敏夫が送って一死二三塁、石田光彦がライトにフライを打ち上げて三走上田がタッチアップからホームインして1-1の同点とする。二走宇野もタッチアップから三塁を狙うが、ライト白木からの返球を受けた中継のセカンド鈴木秀雄はホームは間に合わないと判断してサードに送球して宇野を刺すファインプレー。ここで宇野の三進を許していればこの後の展開は違っていた可能性もあるだけにこの好判断は大きい。因みに二三塁で右翼フライの場合、バックホームの中継にはファーストかセカンドが、バックサードの中継にはショートが入るのでライト白木は最初からホームをあきらめて二走宇野を刺そうと考えたのではなくバックホームを狙ってセカンド鈴木に返したが、鈴木がホームは無理と判断してバックサードに切り替えたものと推認できる。

 名古屋は8回裏、この回先頭の桝嘉一が左前打で出塁、鈴木秀雄の送りバントはキャッチャー前で止まりキャッチャー大原は二塁に送球するがこれが悪送球となり無死一二塁、二塁はタイミングはセーフと判断されたため鈴木の記録は捕ゴロとなり犠打は記録されていない。大沢の一塁線バントが内野安打となり無死満塁、このチャンスに四番白木が左翼線にタイムリーを放って二者を迎え入れて3-1と勝越しに成功する。なおも倉本信護が送って一死二三塁、三浦がセンターにフライを打ち上げて三走大沢がタッチアップからホームを突くがセンタージミー堀尾文人からのバックホームに刺されてダブルプレーとなりチェンジ。鈍足大沢と強肩堀尾の対決は堀尾に凱歌が上がった。

 西沢は最終回、一死後黒田に四球を与えるが後続を抑えてプロ入り初先発を3安打3四球1三振の完投で飾りプロ入り初勝利をあげる。

 西沢道夫は戦争で肩を痛めて戦後は打者に転向して大成することとなる。中日球団史上、右打者としては江藤慎一と並ぶ双壁である。本日先制のホームを踏んだ二塁打に片鱗が窺われる。養成選手として入団してこの時満16歳(現代に換算すれば高校二年生)での快挙であった。




*少年投手の面影は無いが、中日監督時代のカバヤ・リーフのベースボールカード


2 件のコメント:

  1. 西沢ブンちゃんの初勝利はプロ野球最年少記録ですね。

    そういえば、西沢は後年"初打席はアガッてバントをしてしまった"と言ったようですが、実際はどういう結果だったのでしょうか。

    返信削除
  2. 西沢の初打席は昭和12年9月5日金鯱2回戦の初登板の試合だと思われます。9月1日生まれで満16歳になったので出場が解禁されたのでしょう。

    8回表の攻撃で内野安打の芳賀直一を一塁に置いて無死一塁で初打席を迎えます。記録は遊ゴロ併殺(6-4-3)となっています。

    すでに10対0で負けている場面ですので、送りバントのサインが出る状況ではありませんが、バントに失敗して強攻策に出て併殺となったのではないでしょうか。スコアブックの記載からは遊ゴロ併殺の結果しか分かりません。

    昭和12年は5打数2安打、昭和13年は6月26日まで8打数3安打なので矢張りバッティングセンスに優れていたのでしょう。

    返信削除