2年生ながら今大会屈指の好投手と言われる大和広陵の立田将太はストレートに力があり完封目前でしたが9回逆転負け、大隅半島からは初めての甲子園出場となった尚志館の執念が乗り移ったような安打が2本続き、満塁で迎えた六番・関拓哉はここまで変化球にタイミングが合っていました。立田にも分かっていてストレートで追いこんだが最後は膝元のスライダーを巧く打たれました。コースは良かったので失投ではないが、力で押し切れなかったのには悔いが残るところでしょう。
昭和53年第60回全国高等学校野球選手権大会2回戦、大会屈指の好投手と言われた南陽工業の津田恒美(後に恒実)は、天理高校の八番バッター若井康至に甘いカーブをレフトにホームランされて0対1で敗れました。津田はこの投球を悔やんで「弱気は最大の敵」と書き込んだボールを常に持ち歩いていたと言われています。その若井康至監督が率いる大和広陵高校を28年ぶりの甲子園出場に導いた立田については解説の広瀬さんも「マウンド捌きがいい」と褒めているように素質は十分、力で押し切れる投手に成長して甲子園に戻ってきてもらいたいものです。
当ブログに若井康至が登場するのは2度目のこととなります(2012年1月14日付けブログ「ツネゴン」参照)。アサヒグラフには若井と津田のコメントが残されています。「カーブです。入るなんて思いませんでした。公式戦では2本目です。もともと守備を買われてレギュラーになれたんですけど・・・このところちょっと当たってきてるんです。」「本塁打されたのは、「ストライクをとりにいったカーブ。落ちるはずが浮いてしまった。試合中ずっと『直球で勝負すべきだった』と悔やんでました。」
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