2013年3月11日月曜日

15年 金鯱vsジャイアンツ 10回戦


9月16日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 金鯱             18勝48敗7分 0.273 内藤幸三 長尾貞利
0 1 0 0 1 2 0 0 X  4 ジャイアンツ 53勝21敗 0.716 須田博

勝利投手 須田博  26勝11敗
敗戦投手 内藤幸三 2勝8敗

二塁打 (ジ)平山

勝利打点 吉原正喜 4


須田博、1安打完封!

 ジャイアンツの先発はスタルヒン改め須田博。須田は初回、二死後濃人渉に四球を与え、黒澤俊夫に左前打を打たれるが室脇正信を遊ゴロに打ち取る。須田は2回以降、金鯱打線を無安打に封じこみ、1安打2四球6三振で今季12度目の完封、26勝目をあげる。

 ジャイアンツは2回、先頭の中島治康が四球で出塁、千葉が右前打を放ち無死一二塁、白石敏男は左飛に倒れるが重盗を決めて一死二三塁、平山菊二は浅い中飛に倒れるが吉原正喜が左前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 ジャイアンツは5回、一死後吉原の三ゴロをサード漆原進が一塁に低投、須田は二飛に倒れるが吉原が二盗を決めて二死二塁、呉波が四球を選んで二死一二塁、水原茂の中前タイムリーで2-0とする。

 ジャイアンツは6回、先頭の中島が右翼線にヒット、千葉が中前打、白石が死球を受けて無死満塁、平山が左翼線に2点タイムリー二塁打を放って4-0とする。

 ジャイアンツは3つの盗塁を得点に結び付けたが、金鯱は松元三彦、柴田多摩男の両捕手を怪我で欠き、本日は不慣れな上野義秋がマスクを被ることとなったものである。


 今季12度目の完封勝利を飾った須田博はスタルヒン時代に2安打完封は5回記録しているが、須田博に改名後の初試合で今季初めて1安打完封勝利を記録した。改名について本人がどう感じていたかは他人には知る由もないが、残されている記述からスタルヒンの気持ちを探ってみよう。


 大和球士著「真説 日本野球史」昭和篇その四には「日本語化の第一弾は、と調べると、球団名の日本語化にあらず、個人であった。・・・須田投手談。『球も早い方がいい。日本語化も同じだよ。ぼく、両方とも早い、そう思うでしょう。』」と書かれている。

 千葉茂の自伝「猛牛一代の譜」には「ご本人の気持ちはいかばかりであったことでしょう。もっとも、スタルヒン改め、須田博投手は、ものにこだわらない闊達な性格の快男児で、『なんてことないさ、もともと、オレはニッポン人なんだから、これでいいというものさ。名前を変えることで、苦労するというのは、これくらいのものさ』といいながら、サインの練習に余念がなかったものでした。それまでは、横文字で書いていたものを、漢字でサインしなければならなかったわけ。初めて書く日本名、須田博のなじめない字を、一生懸命練習していたのを思い出します。」と書かれている。

 藤本定義の自伝「覇者の謀略」には「戦争中は須田と改名したが、このことをスタルヒンはとてもいやがっていた。」と書かれている。


 スタルヒンは無国籍の白系ロシア人という生い立ちのため、環境に順応するという運命を受け入れていたとも言われているが、改名を強いられた意地が、無言の抵抗が、本日の1安打完封に表れていると、当ブログは考えます。










              *須田博は改名後初戦に1安打完封勝利を記録する。











     *須田博に1安打に抑え込まれた金鯱打線。













           *昭和10年第1回アメリカ遠征時のヴィクトル・スタルヒンのサイン。









 

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