第3回WBCはドミニカが優勝しました。私がWBCに興味があったのは第1回だけで、当然ドミニカが優勝するものと思っていました。周りの連中にも似非メジャー通ぶって「ドミニカの優勝に決まってんじゃん」と言いまくっていましたが、まさかの日本優勝となって「なんだかなぁ~」というのが正直な気持ちでした。まぁ王さんには素直に「ありがとう」と思ったのも事実ですが。以来、「WBC=オープン戦」説を信奉して今日に至っています(笑)。
ということで、WBCを見たのは2006年の東京ドームで行われた日本vs中国戦と日本vsチャイニーズタイペイ戦だけです。中国戦は外野スタンドで見ていましたが、福留のホームランが私の頭上に飛んできました。すぐ後ろに落ちたと思ったらコロコロと私の座席の真後ろに転がってきました。左隣りの同僚と右隣りの赤の他人との取り合いとなって、軍配は赤の他人に上がりました。あの時左手にレモンサワーさえ持っていなかったら争奪戦に参加できたはずでした。記憶ではレフトスタンドで見ていたので福留が流し打ったホームランだったと思います。左打者特有の切れてくる打球ではなく、まっすぐ私に向かってきました。体が開かず振り切っていればああいう打球になるのか、福留のバッティング技術のなせる業なのか。
翌日のチャイニーズタイペイ戦は一塁側で見ていました。多村がレフトファウルフライを壁に飛びつくように捕ったシーンを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。一塁側から見ていたのでレフト壁際のプレーも良く見えました。多村がジャンプした瞬間「捕れる!」と叫んだのをよく覚えています。まぁ2005年まで住んでいた横浜では横浜スタジアムまで自転車で通っていましたので多村の才能はよく知っているつもりでしたが。
スタンドはガラガラでした。念のためにWikipediaで調べてみると中国戦は15,869人、チャイニーズタイペイ戦は31,047人となっています。中国戦の三塁側は本当にポツリポツリと人がいるだけで数えられるほどでした。中国戦は仕事帰りに同僚と行ったので平日だったはずです。中国には18対2、チャイニーズタイペイには14対3で勝っていますが、やる前からどう考えても韓国以外には負ける要素はありませんでした。あれから7年、予選でも苦戦するようになるとは全体のレベルが上がったのやら日本が弱くなったのやら。予選から騒ぎ過ぎるところが最大の問題点でしょうが。
*2006年WBCドミニカ代表チームによるサイン入りジャージ。アルバート・プホルス、デビッド・オルティスの左右の大砲以下、世界最強メンバーでした。「DO」の真下がアルバート・プホルス。
*ジャージはアルバート・プホルスのオーセンティック・ジャージです。
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