試合終了後、アルプススタンドの応援席に向かったのは16人だった。
春・夏・春の三連覇を狙う大阪桐蔭は近田(きんでん)、森を故障で欠く飛車角落ち。挑む18年ぶり出場の県岐阜商が春3回、夏1回優勝の伝統の力を見せた。
エースの藤田凌司が6回の打席で右脚に死球を受けてドラマは始まった。臨時代走が出て治療にやや時間がかかって出てきた時は大丈夫そうに見えたが相当痛そうであった。死球の次の打席でワンストライク後の二球目にフルスウィング、青春の意地を見せた瞬間です。余裕の笑顔もなくなり、イニング終了後は脚を引きずりながらベンチに戻る。左腕の藤田にとって踏み出す右脚には全体重が掛かります。
5対4と県岐阜商1点リードで迎えた9回裏大阪桐蔭の攻撃、二死一二塁からの中前打で二走は三塁ベースを蹴ってホームに突っ込む。浅目の守備を敷いたセンターからノーバウンド返球、ランナーがキャッチャー神山に激突、白球はミットからこぼれますが主審の判定は守備妨害によるアウトとなって試合終了、県岐阜商の校歌に整列するメンバーにキャッチャー神山の姿はなく、右脚を引きずるエース藤田はアルプススタンドに向かって走り出しましたが途中で断念しました。アルプススタンドに向かったのは16人だったのです。試合終了後の藤田の談話は「脚は痛くなかった。力が抜けてチェンジアップが効果的でした。」でした。
県岐阜商の甲子園制覇は夏は1936年、春は1933、35、40年と全て戦前のことですが、伝統の「岐商魂」と校訓の「不撓不屈」は現在にも受け継がれています。岐阜商業時代の全盛期、ピッチャー松井栄造、キャッチャー加藤三郎、ファースト森田定雄、セカンド長良治雄、サード加藤義男、ショート近藤清のうち、森田定雄を除く5人は戦死しています(2012年9月9日付けブログ「最も無名の最強打者 」参照)。
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