昭和15年9月15日付け読売新聞は「日本野球聯盟では14日左の帰還復帰選手並に新人戦選手を左の通り発表した」(新聞ではこの記事の左に選手名が並んでいますが当ブログでは下に並ぶこととなります。)と伝えている。
帰還復帰選手
南海軍
富永嘉郎 平安中 外野 23歳
新加入選手
南海軍
加藤喜作 慶應 八幡製鉄 助監・内野 33歳
ライオン
灰山元章 慶應 内野 27歳
金鯱軍
小鶴誠 飯塚商 八幡 内野 19歳
長尾猛静 京城中 投手 19歳
何と小鶴誠が昭和15年に金鯱に入団しています。小鶴は飯塚商業から八幡製鉄を経て「飯塚誠」の名前で昭和17年に名古屋に入団したと言われていますが、確かに昭和15年9月15日付け読売新聞には金鯱に入団と書かれています。果たして真相や如何に。
*当ブログでは通常は新聞記事の画像アップはしておりませんが、本日は貴重な情報の可能性がありますので異例ではありますがアップさせていただきます。
小鶴誠自身の証言によりますと、
返信削除「名古屋から赤嶺さんが勧誘にくる前に、実は金鯱というチームと仮契約をしていたんです。仮契約といっても、ノートを破ったような紙切れにサインしただけの、まあ、いまの感覚からいけば、とても契約なんていえるものではないけれど、それにしても、一度、金鯱に入りましょうといってしまった」(80年・ベースボールマガジン3月号 プロ野球の謎とロマン)
小鶴は40年八幡製鉄に入社しましたから、この時は入社一年目でした。
次兄の正己(八幡製鉄の名捕手)が会社の賃金の悪さに憤慨して、昇給してくれなかったら職業野球に入るから、という事で小鶴も次兄の付添いの様に入団させられる予定だったそうです。
結局は会社側があっさり次兄の昇給を認めて話は流れたようです。
恐らく、満州リーグ戦終了後の大毎主催のトーナメント戦あたりで仮契約を交わしたのではないでしょうか。
それにしても、仮契約の選手を公式に選手登録するとは、いい加減というかお粗末というか・・・。
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またまた貴重な情報ありがとうございます。選手には不評だった小倉のトーナメント戦がひょんなことからクローズアップされることとなりました。
返信削除ということで、謎が解けました(笑)。