2011年11月6日日曜日

三冠に一番近かった男


 菊花賞も無事オルフェーヴルの三冠達成で終了し、今年ほど「三冠」が多く活字になったことは無かったのではないしょうか。アメリカン・リーグ投手三冠を達成したジャスティン・バーランダーは日増しに1992年のデニス・エカーズリー以来19年ぶりの投手のMVPの声も高まってきました。ナショナル・リーグでもクレイトン・カーショウが投手三冠を達成し、サンディ・コーファックスの再来と言われています。日本でも三冠タイトルに勝率を用いる化石人的発想で吉見と田中が投手三冠だという活字が躍っていましたが、流石に恥ずかしくなったのか奪三振をタイトルとして扱い投手三冠の声は聞かれなくなってきました。

 ナショナル・リーグバットマンレースではマット・ケンプが本塁打・打点の二冠を達成し、打率でもホセ・レイエスに1分3厘差の三位でした。150試合を超えた時点で二冠をキープしながら首位に3厘6毛2糸差に迫った時には、1967年のカール・ヤストレムスキー以来44年ぶりの三冠達成の期待が大きく膨らんだことは既報のとおりです。

 1968年以降、ア・ナ両リーグで本塁打・打点の二冠を達成した打者は意外なほど多く、31人で延べ41回あります。マイク・シュミットは1980、81、84、86年と4回達成しています。ウィリー・マッコビー、ジョニー・ベンチ、ジョージ・フォスター、ジム・ライス、セシル・フィルダー、アレックス・ロドリゲス、ライアン・ハワードが各2回達成しています。

 本塁打・打点の二冠の場合、残る打率において二冠達成者とその年の首位打者との打率差が小さいほど三冠達成に近付く訳です。1968年以降の41回では、二冠達成者とその年の首位打者との打率差の平均は実に5分(0.050)もあり、本塁打・打点と打率は全くカテゴリーの違う争いとなっていることが分かります。1999年にマーク・マグワイアが65本塁打、147打点で二冠を達成しましたが打率は2割7分8厘で首位打者のラリー・ウォーカー3割7分9厘とは1割1厘の差があり、2008年のライアン・ハワードは48本、146打点の二冠でしたが2割5分1厘で首位のチッパー・ジョーンズと1割1分3厘の差がありました。4回二冠に輝いたマイク・シュミットも、首位との差は3分8厘、2分5厘、7分4厘、4分4厘で三冠のチャンスは皆無でした。

 1968年以降の本塁打・打点の二冠達成者の中で、その年の首位打者との打率差が最も小さかったのは1972年のディック・アレン(ホワイトソックス)です。この年37本塁打、113打点で二冠に輝いたアレンは打率も3割8厘で首位のロッド・カルー(ツインズ)3割1分8厘とは1分差、二位のルー・ピネラ(ロイヤルズ)3割1分2厘に次ぐ第三位でした。この年のア・リーグは三割打者が6人で投高打低の時代のようですが、ディック・アレンの強打ぶりは日本ではあまり馴染みはないかもしれませんが有名です。三年前に49本で本塁打王のハーモン・キルブリューが26本と衰えていたこと、翌年初の本塁打王となるレジー・ジャクソンが25本で本格化する前だったことがアレンの二冠にプラスに作用した訳ですが、この後レジー・ジャクソンと隔年毎に本塁打王を分けあうこととなります。因みにこの年打率3割で六位のリッチー・シェインブラム(ロイヤルズ)は1975年に来日して広島では「シェーン」を名乗り、広島初優勝に貢献しました。神宮球場に見に行った時、スタンドから「アラン・ラッド!」と声が掛かっていましたが、映画「シェーン」からであることは言うまでもないところです。

 今年のマット・ケンプの「二冠にして首位打者と1分3厘差」は、ディック・アレンに次いで1968年以降では二番目に三冠に近付いた記録です。1977年のジョージ・フォスターと1978年のジム・ライスが1分8厘差、昨年のアルバート・プホルスが2分4厘差、前述の1981年のマイク・シュミットが2分5厘差で続きます。歴史的記録の割にはあまり大きく騒がれなかった(当ブログを除く)ようですね。



*左がディックアレン、右がマット・ケンプのサインボール。

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