6月15日 (木) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 イーグルス 13勝23敗1分 0.361 望月潤一
0 0 4 0 0 0 0 0 X 4 金鯱 12勝26敗 0.316 鈴木鶴雄
勝利投手 鈴木鶴雄 1勝0敗
敗戦投手 望月潤一 2勝8敗
二塁打 (イ)望月、寺内
鈴木鶴雄、軍務公用からの復帰初戦を飾る
金鯱は兵役から戻ってきた鈴木鶴雄が昨年の7月16日以来約1年ぶりの登板となる。翌日の読売新聞によると「好漢古谷は前日の死球のため・・骨折の痛手を負い・・・中山は連投に疲れ、大宮は病後の回復未だしよあって・・・軍務公用から帰還した鈴木を投手板に送らねばならなかった、正に背水の陣であったが鈴木は制球力頗る豊富に、而も球速を自在に変化させる好投に終始し・・・見事岡田監督の知遇に応えた。」とのこと。
金鯱は3回、先頭の五味芳夫が三塁への内野安打で出塁するとすかさず二盗に成功、佐々木常助の二ゴロは進塁打となって一死三塁、野村高義の二ゴロで五味がホームを突き、セカンド高須清がバックホームするがセーフ、野選となって1点を先制する。ここで野村も二盗に成功、小林茂太死球で一死一二塁、小林利蔵が復帰後初安打を左前に放って一死満塁、2回の復帰後初打席で内野安打を打っている鈴木鶴雄が押出し四球を選んで2-0、瀬井清の三塁内野安打で3-0、長島進の中犠飛で4-0として試合の主導権を握る。
鈴木鶴雄は約1年間の軍隊生活のブランクを感じさせないピッチングで7回までイーグルス打線を4安打2四球無失点に抑える。
イーグルスは8回、先頭の寺内一隆が左翼線に二塁打、杉田屋守の三ゴロの間に寺内は三進、高須の遊ゴロの間に寺内が生還して1-4とする。
鈴木鶴雄は9回、先頭の太田健一に右前打を許すが望月潤一を二ゴロ併殺に打ち取り、漆原進を中飛に抑えて6安打2四球1三振の完投で復帰初戦を飾る。
イーグルス先発の望月潤一は4回以降は8回に瀬井に許した右前打1本に抑える好投であったが魔の3回にやられた。キャッチャー筒井良武のスローイングを狙われて6盗塁と走られたことも敗因となった。
金鯱は夏季シーズンに入って5勝1敗でジャイアンツを抜いて首位の座に躍り出た。尤も第二試合でジャイアンツが勝って5勝1敗で並ぶこととなるが。
金鯱快進撃は当時大きなニュースとして捉えられている。聯盟広報誌である「聯盟ニュース」6月25日発行の第40号では「奮起の金鯱」の大見出しで報じられている。8月25日発行の第42号では広瀬謙三公式記録員の記事として「総親和の金鯱」の見出しで「一時は解散とまで鞭たれ、気分を奮起した時に、折もよし、軍隊生活の洗礼を受けた最高幹部となるべき選手が帰休して来た。これが今まで纏る中心を見出せなかった同チームに著しい結束の力を与えた。丸坊主になった岡田監督の下に、古谷、中山、小林利、鈴木等の選手が幹部になって中心となる。・・・岡田監督曰く『軍隊へ行けば野球は強くなりますよ』・・・。」
10月31日付けブログ「金鯱vsイーグルス 5回戦」で「大和球士著『真説 日本野球史』によると、5月14日付け都新聞に『金鯱解散か』の記事が載ったとのことで、春季シーズンを最下位で終わると岡田源三郎監督は選手たちに強く反省を促し、選手たちも深く反省して『全員頭髪五分刈り』を決行したとのことである。」とお伝えしたところですが、戦前唯一の広報誌である聯盟ニュース(昭和11年4月25日発行の創刊号から同年10月15日発行の第7号までは「日本職業野球聯盟公報」、同年11月30日発行の第8号より「「日本職業野球聯盟ニュース」に改題。)の記事により、大和球士の著書の記述が裏付けられている。
*鈴木鶴雄が軍務公用から復帰後初登板を完投勝利で飾る。
*鈴木鶴雄、小林利蔵と相次いで戦地から戻って復帰後初安打を放つ。
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