2011年8月14日日曜日

14年 ジャイアンツvs南海 2回戦

4月10日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
4 1 3 4 1 0 0 0 0 13 ジャイアンツ 8勝4敗       0.667 川上哲治 中尾輝三 スタルヒン
3 1 0 0 0 1 2 4 0 11 南海       3勝8敗1分 0.273 宮口美吉 天川清三郎 平野正太郎 政野岩夫


勝利投手 川上哲治    3勝1敗
敗戦投手 天川清三郎 1勝2敗
セーブ     スタルヒン  1


二塁打 (ジ)川上2、白石、水原、永澤 (南)中田、平井
三塁打 (ジ)永澤、川上


神様降臨


 ジャイアンツ・川上哲治、南海・宮口美吉の両左腕投手が先発。

 ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男がセンター右にヒット、バント嫌いの藤本定義監督は送らせず水原茂は右飛、千葉茂は中前打、中島治康の右前タイムリーで1点を先制、千葉は三塁に進み中島もバックホームの間に二塁を陥れて一死二三塁、川上が左翼線に二塁打を放って3-0、三田政夫の左前タイムリーで4-0とする。更に井上康弘も右前打で続くが吉原正喜遊ゴロ、永澤富士雄中飛に倒れてこの回打者9人で4点。

 南海は1回裏、先頭の平井猪三郎が四球で出塁、国久松一の二ゴロで二進、鶴岡一人の三ゴロをサード水原がエラー、岡村俊昭が中犠飛を打ち上げて1-4、中村金次四球で二死一二塁、中田道信が左中間を抜いて二者還り3-4、中田は三塁を欲張りタッチアウト。

 ジャイアンツは2回、白石、千葉が連続四球、千葉の投ゴロで白石は三封、中島三振後、川上が右前にタイムリーを放って5-3としてなお二死一三塁、ここでダブルスチールを仕掛けるが「2-6-2」と渡って三走千葉に盗塁失敗が記録される。

 南海は2回裏、小林悟楼が左前打、宮口の二ゴロでランナーが入れ替わり岩出清の二ゴロで宮口が二進、トップに返り平井が右翼線にタイムリー二塁打を放って4-5と追いすがる。

 ジャイアンツは3回、先頭の三田が四球、南海は宮口から天川清三郎にスイッチ。井上四球で無死一二塁、吉原の三ゴロは「5C-3」のゲッツーとなって二死二塁、しかし永澤が左中間に三塁打、白石が左中間に二塁打、水原が左中間に二塁打と三連続長打で3点をあげて8-4とする。

 ジャイアンツは4回、先頭の中島四球、川上が右中間に三塁打を放って9-4、南海は天川から三番手平野正太郎にスイッチ、二死後吉原四球、永澤の右中間タイムリー二塁打で10-4、白石の遊ゴロをショート小林がエラーする間に吉原が還って11-4、水原の左前タイムリーで12-4と突き放す。更に5回、中島中前打、川上左翼線二塁打から井上の中犠飛で13-4とする。ジャイアンツは6回から吉原に代えて平山菊二がマスクを被る。矢張り吉原の怪我は完全には回復していないようだ。

 南海は6回、一死後中田左前打、小林四球、平野左前打で一死満塁、二死後山尾年加寿が押出し四球を選んで5-13として反撃の狼煙を上げる。

 ジャイアンツは7回、川上がこの日5安打目となる中前打を放つと代走に山本栄一郎を起用、7回から中尾輝三が二番手として登板する。

 南海は7回、一死後岡村が左前打から二盗、中村四球後重盗を決めて二三塁、二死後小林が左前打に2点タイムリーを放って7-13とする。

 南海は8回、先頭の伊藤経盛は中飛、山尾は三ゴロに倒れて二死無走者、しかしここから国久、鶴岡が連続四球、ワイルドピッチを挟んで岡村が三連続四球、まぁ中尾らしいと言えば中尾らしい訳ですが。中村の一塁内野安打で8-13、中田押出し四球で9-13としてなお二死満塁が続く。ジャイアンツベンチは中尾を下げてとうとうスタルヒンを投入する羽目に陥る。しかし小林の本日4安打目となる三塁内野安打で10-13、平野が押出し四球を選んで11-13、万策尽きたジャイアンツはキャッチャーを平山から中山武に交代する。これが効を奏してスタルヒンが伊藤を三振に討ち取りようやくスリーアウトチェンジ。

 行けると見た南海は9回から四番手として政野岩夫を投入してジャイアンツの攻撃を封じる。

 しかし南海の最終回は山尾投ゴロ、国久三振、最後は鶴岡三振でゲームセット。ジャイアンツが辛うじて逃げ切る。


 ここでトリビアクイズです。過去に両チーム二桁得点の試合はあったでしょうか?古くからの読者の方はお分かりでしょうが、昭和12年3月29日の大東京vs阪急2回戦は17対12で阪急が勝ち、同年4月1日の名古屋vsイーグルス1回戦は13対10で名古屋の勝ち、同年6月1日のイーグルスvs名古屋5回戦は13対11で名古屋の勝ち、同年11月10日のライオンvsイーグルス7回戦は19対10でイーグルスが勝っています。 戦力が整備されてきた昭和13年以降では本日が初めてとなります。戦前の試合は得点が少なくてつまらないとお嘆きの諸兄には認識を改めていただきましょう。

 川上哲治は5打数5安打、二塁打2本、三塁打1本の9塁打。打撃の神様が地上に降りてきたようです。川上は前日も2打数2安打で現在7打数連続安打、その前の試合の最終打席の四球から8打席連続出塁を継続中です。今季通算39打数16安打、打率4割1分で4割5厘の中河美芳を抜いて首位打者に躍り出ました。

 南海でも小林悟楼が5打席4打数4安打3打点1四球を記録しています。


 最後の砦として三番手キャッチャーで登場し、スタルヒンを立ち直らせた中山武は、しかしながらこれがプロ野球での最後の試合となった。昭和13年10月8日付け読売新聞は写真入りで「武勲の中山三年ぶり球場へ」の見出しと共に「昨年9月・・・敵前上陸の激戦に右踵に重傷を受けて療養中だった歩兵伍長、巨人軍中山武捕手はこの程除隊となり先月末上京して巨人軍に復帰した。」と伝えている。しかし戦地で受けた傷は治らなかったのである。中山はこの日の9回表、四球と二盗の井上を二塁に置いて打席に立ったが凡打を記録している。竹中半平著「背番号への愛着」によると「中山に打順が回って来て彼は三遊間を抜いた。併し、脚の負傷で毎回ブルペンへ跛ッこ(原文のまま、不適切な表現の可能性があります。問題があるようでしたら削除させていただきます。=筆者注)ひきひき歩いていた彼である。一塁へ走れない。・・・走者は勇躍ホームインしたが、中山はバットを投げすてて、バッターボックスから一歩二歩歩き出したが駈けられず、口惜しそうに立ちすくんだままである。ボールはレフトからショート、それから一塁へ転送されてアウト、当然ホームインは消滅した。この時の中山の表情を、私は四十年近く経った今も尚忘れられない。それっきり中山は試合には出なかった。」とのことです。点差や試合経過は竹中氏の記憶違いかと思われる部分もありますが、それにしても竹中先生は甲子園の試合も見に行っていたようです。中山は戦後も巨人軍の裏方など、長く球界に関わることとなります。





*川上哲治は5打数5安打。打撃の神様が地上に舞い降りた瞬間である。






*中山武の最後の打席。竹中氏によると三遊間を抜いたとのことであるが「1-6-3」と記録されている。但し、二死二塁(井上は四球で出塁して二盗に成功しています。)の投ゴロでピッチャーがショートに投げるとは考えられないので、「7-6-3」の誤記載の可能性が高い。



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