開幕日の3月18日~3月24日の第1節19試合では6試合でしか記録されなかった捕逸が3月26日第一試合のイーグルスvs名古屋1回戦~3月29日第二試合のライオンvsセネタース1回戦まで8試合連続で記録されています。一方、第1節の19試合で5本しか出なかったホームランがこの8試合では9本飛び出しています。
当時の選手がグローブからパンヤを抜いて自分なりに工夫していたことは白石や千葉の自伝にも書かれています。三原脩がグラブからパンヤを抜いて工夫しているのを見習ったようです。また、キャッチャーがミットからパンヤを抜いていい音がするように工夫していたこともよく聞く話です。
昭和13年から使用球の球数が制限され、昭和14年にはボールの芯が軟らかくなり、スフが使われて押せば凹むようになってきます。恐らく各キャッチャーは軟らかくなったボールに対応するためミットを工夫していたのでしょう。
第1節の19試合で5本しかホームランが出なかったことから連盟は焦ったのではないでしょうか。後楽園球場の両翼を78メートルにしてホームランを量産させることにより集客を狙ってきた連盟としては後楽園シリーズでホームランが出なくなれば死活問題と考えたのでしょう。
恐らく今節から保管しておいた昨年までのボールを使ったのではないでしょうか。ボールが飛ぶようになって8試合で9ホームランが出ましたが、軟らかいボール用に工夫していたキャッチャーミットが硬いボールに適応できなかったことがパスボー症候群の原因かもしれません。
これを戦時期ならではの珍事と笑っていては2011年度のペナントレースを見誤ることとなります。今年から飛ばない統一球を使用したことにより、これまでホームランに頼っていたチームが下位に低迷し、これまでもホームランに頼っていなかったヤクルトが断トツ首位に立っているのが飛ばない統一球に起因していることは色々な方が分析しています。
私はヤクルト断トツ首位のもう一つの要因は小川淳司監督の「人間力」にあると見ています。小川は1975年、習志野高校の二度目の甲子園制覇時の優勝投手です。前年、銚子商業がエース土屋、2年の篠塚等を擁して全国制覇しましたが、小川が3年になったこの年は千葉県予選で勝った方が全国優勝するのが当たり前という雰囲気でした。銚子商業のエース佐藤は前年の土屋に比べれば格下でしたが小川の習志野さえ破れば二年連続甲子園制覇は確実でした。篠塚が3年になり、2年の宇野と高校野球史上最強の三遊間を組んでいます。プロに進んで首位打者2回とホームラン王が同じ高校で三遊間を組むなど、今後千年経っても二度と見られないでしょう。しかしながら千葉では今年は習志野だろうという声が圧倒的でした。理由は小川がいたからです。準決勝で習志野と銚子商業がぶつかり、小川がツーランホームランを放って2対1で銚子商業を降し、甲子園でも当然のごとく優勝して千葉県が二年連続全国制覇しました。優勝候補で無かったのには私などは呆れて笑いも出ませんでしたが。
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