「長さん」と聞いて長嶋茂雄のことかと思うようではまだまだ修行が足りません。
昭和13年9月15日付け読売新聞は「甲子園の長さん 職業聯盟で表彰」の見出しと共に写真入りで「職業野球甲子園シリーズの開幕する15日、聯盟では甲子園グラウンド係 米田長次君(29)を表彰することになった。同君は聯盟創立以来、日夜グラウンド調整その他万般に献身的援助をなした隠れた功労者で、昭和3年9月家業を擲(なげう)って阪神電鉄に入社以来『長さん』の愛称で親しまれている。」と伝えている。
そして昭和14年4月13日付け読売新聞には「長さん」のインタビュー記事が掲載されている。
「グラウンドキーパーとして勤続11年に及ぶ甲子園の主 “長さん”は試合を見ること二千回以上に達して既に一家を成す野球通と見られているが・・・『この頃のボールは皮が非常にナマで悪うおまんな、どないに節約しようとしてもあきまへん。一度バックネットに当ったら皮が裂けてしまいます。』皮の統制以来ボールは非常に悪くなっている。とりわけ非常によく飛ぶものとよい当りがしても飛ばないものとがあることは試合観戦中にはっきりと認識される。」
野球史研究の上で貴重な証言である。
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