2011年8月3日水曜日

14年 金鯱vsタイガース 1回戦

3月30日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱      2勝5敗 0.286 常川助三郎 磯部健雄
1 3 0 3 0 1 0 0 X 8 タイガース 5勝3敗 0.625 若林忠志 青木正一


勝利投手 若林忠志     1勝1敗
敗戦投手 常川助三郎 0勝2敗

二塁打 (タ)岡田

岡田宗芳、四打席連続出塁


 タイガースは初回、一死後本堂保次が四球で出塁、ジミー堀尾文人の投ゴロをピッチャー常川助三郎がエラー、ここで景浦将の一邪飛をファースト浅井太郎が落球、命拾いした景浦の左前タイムリーで1点を先制する。

 タイガースは2回、先頭の伊賀上良平が四球で出塁、門前真佐人の三ゴロの間に伊賀上は二進、若林忠志の遊ゴロをショート瀬井清がエラーする間に伊賀上がホームに還り2-0、岡田宗芳が四球でつなぎ、トップに返り松木謙治郎の二ゴロの間にランナーそれぞれ進塁して二死二三塁、本堂が中前に2点タイムリーを放って4-0とする。

 タイガースは4回、先頭の若林の三ゴロをファースト浅井がエラー、岡田が左前打でつなぎ松木の三前バント安打で無死満塁、本堂の右犠飛で5-0として二走岡田もタッチアップから三塁を陥れて一三塁、松木が二盗を決めて一死二三塁、堀尾も中犠飛を打ち上げて6-0、景浦が二本目のタイムリーを右前に放って7-0とする。

 金鯱は5回から先発常川助三郎に代えて磯部健雄をマウンドに送る。

 タイガースは6回、この回先頭の岡田が左中間に二塁打、松木は四球を選んで無死一二塁、5回の守備からセカンドに入っている奈良友夫の遊ゴロは6-4-3と渡るダブルプレーとなって二死三塁、しかし堀尾の遊飛をショート瀬井が落球する間に岡田が生還して7-0とする。

 若林忠志は余裕のピッチングで7回を3安打無四球2三振無失点、9回まで投げていれば完封していたであろうが残り2イニングを若手の青木正一に譲って降板する。

 九番岡田宗芳が四打席連続出塁、2打数2安打2四球3得点と久々につなぎ役としての活躍を見せて二番本堂保次の3打点に結び付けている。

 金鯱野手陣は7失策。3月29日から読売新聞の論評は鈴木惣太郎に一本化され、連日辛口のコメントが紙面を踊っているが、金鯱の無気力を痛烈に批判している。観衆からも罵声が浴びせられたようで、「観衆の指弾を買ったのは当然である」と締め括っている。その中で新人磯部健雄のピッチングを「一人必死懸命の努力に終始している」と評価している。磯部は昭和15年まで在籍するがプロでは1勝もあげることなく引退する。背番号はエースナンバーの18(と言っても当時は明確にエースナンバーではなかったが)であるが竹中半平著「背番号への愛着」にも取り上げられておらず、鈴木惣太郎の論評でも「新人」となっているが入団は昨年のことである。尤も昭和13年には登板がないので「新人」の表現自体は間違いではありませんが。ということで全くと言っていい程資料が残されていません。小田原中学-國學院大學を経て金鯱に入団。


 小田原中学は現小田原高校。Wikipediaでも小田原高校出身のプロ野球選手として紹介されていません(これも珍しい)。同校出身のプロ野球選手は磯部以外では広島に在籍して一軍出場なしで引退した青木智史だけのようです。青木は現在、北信越BCリーグ・新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属しています。日本の独立リーグは元西武の石毛宏典が四国アイランドリーグを立ち上げたのが始まりとなりますが、当時石毛氏にスカウトされて営業(スポンサー獲得)を担当していた人間が何と現在私の職場の部下(今は課が変わりましたが)にいます。北信越BCリーグの立ち上げにも関与したので私にもインサイダー情報が入ってきますが公開できる分については縷々公表していきます。






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