4月9日 (日) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 ジャイアンツ 7勝4敗 0.636 中尾輝三 川上哲治
0 0 0 0 0 5 0 0 X 5 名古屋 4勝5敗1分 0.444 村松幸雄 松尾幸造
勝利投手 村松幸雄 2勝0敗
敗戦投手 中尾輝三 2勝1敗
セーブ 松尾幸造 2
二塁打 (名)桝
三塁打 (名)大沢
クリーンナップ三連続タイムリー
ジャイアンツは2回、先頭の吉原正喜が左翼線にヒット、中尾輝三四球で無死一二塁、白石敏男の投前送りバントをピッチャー村松幸雄が三塁に送球するがセーフ、野選となって無死満塁、しかし村松が粘り水原茂、千葉茂と連続三振、ここで四番中島治康が左前にタイムリーを放って二者を迎え入れ2点を先制する。
ジャイアンツ先発の中尾は4回までパーフェクトピッチング。名古屋は5回、一死後大沢清が右前に初ヒット、芳賀直一は右飛に倒れるが中村三郎も右前にヒットを放って二死一二塁、しかし服部受弘は三振に倒れる。
名古屋は6回、先頭の村松が右前打、石田政良の一ゴロでランナーが入れ替わり、村瀬一三が四球を選んで一死一二塁、ここで桝嘉一が中越えに二塁打を放って二者還り2-2の同点に追い付く。更に四番加藤正二の右前タイムリーで3-2と逆転、大沢清が右中間に三塁打を放って4-2としてクリーンナップ三連続タイムリーで中尾をKO、ジャイアンツベンチは川上哲治をリリーフに送る。芳賀は遊ゴロに倒れて二死三塁、バッター中村の打席で三走大沢が鈍足を飛ばして単独ホームスチールを成功させて5-0とする。
リードを奪ったところで名古屋は7回から村松に代えて松尾幸造を注ぎ込み、松尾はベンチの期待に応えて3イニングを3安打無四球2三振の無失点で切り抜け名古屋が快勝する。
この日ジャイアンツはスタメン・ファーストに永澤富士雄を起用している。翌日の読売新聞には試合前ラインナップが発表された時の藤本定義監督の談話が掲載されており「巨人軍は左投手に弱いという評判ですから松尾だと思っていましたが村松とは意外です。」とのことなので、左の松尾を予想して川上を外して永澤を起用したようである。一般には川上は昭和13年秋季から一塁のレギュラーになったと言われていますが、昭和14年4月9日現在ではまだ相手ピッチャーが左と予想される時は先発を外されることもあったようです。
藤本監督の談話をもう一つ紹介します。「今日の球審は横沢(三郎=筆者注)さんですが横沢さんは球の見分けが旨くてストライクを厳選するから場馴れしない中尾が四球に崩れはしないか心配しているのです」とのこと。いつの時代にも審判の癖はあるものですが、この藤本監督の談話には当時四球が多かった謎を解く鍵がありそうです。恐らく当時のストライクゾーンは今より狭かったのではないでしょうか。もう一つの証言として、杉浦清著「ユニフォームは知っている」に「当時のストライクゾーンは左右ボール半分ずつ狭かった」という記述があります。杉浦清によると、これにより待球主義が主流となり、日本の打撃が米国に比して遅れた要因になったとしています。当ブログでお伝えしているところでも、積極打法と認定できるのは中島治康、藤村富美男、バッキー・ハリスくらいでしょうか。小林茂太も入るかもしれません。
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