2011年8月11日木曜日

14年 阪急vsタイガース 3回戦

4月9日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 1 2 阪急       6勝4敗 0.600 重松通雄 高橋敏
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 タイガース 7勝5敗 0.583 三輪八郎 御園生崇男


勝利投手 高橋敏     3勝0敗
敗戦投手 三輪八郎 0勝1敗

二塁打 (阪)浅野、山下実、上田 (タ)伊賀上

上田藤夫、決勝二塁打


 タイガースは高崎中学出身の大型左腕ルーキー・三輪八郎がプロ入り初登板初先発。 

 阪急は4回、浅野勝三郎、黒田健吾が連続四球を選んで無死一二塁、山下好一がセンターにタイムリーを放って1点を先制する。タイガースは5回から三輪に代えて御園生崇男をマウンドに送る。

 重松通雄の前に初回先頭の松木謙治郎のヒット1本に抑えられていたタイガースは6回、一死後景浦将が右前にチーム2本目のヒット、富松信彦の遊ゴロでランナーが入れ替わり、伊賀上良平の左中間二塁打で二死二三塁、阪急ベンチはここで重松から高橋敏にスイッチする。しかし高橋は制球力なく門前真佐人四球、御園生押出し四球で1-1の同点とする。

 阪急は9回、先頭の山下好一が四球で出塁、山下実監督が投前に送りバントを決めて一死二塁、ここで上田藤夫が左翼線に痛烈な二塁打を放って土壇場で2-1と勝ち越す。高橋敏は最終回、一死後皆川に代わる代打青木正一を四球で歩かせるが松木の一ゴロが3-6-3と渡ってダブルプレー、試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 高橋敏は開幕三連勝。一方、この試合の敗戦投手は三輪八郎に記録されている。試合経過をご覧になれば一目瞭然であるが、現行ルールでは御園生崇男が敗戦投手となる。

 左腕に乏しい(というより左がいない)タイガースにとって期待の大型左腕・三輪八郎は高崎中学(現・群馬県立高崎高校)出身。通称「たかたか」、ライバルの前橋高校は「まえたか」。

 前橋高校の方は1978年センバツで松本稔投手が完全試合をやりましたし、「ちょうちん打法」の中利夫、「八時半の男」宮田征典を輩出しており、何より現在当ブログに欠かすことのできない人物である鈴木惣太郎の母校です。

 高崎高校は福田赳夫、中曽根康弘の二人の総理大臣を輩出したことであまりにも有名ですがプロ野球選手は三輪八郎だけのようです。テニスでは「やわらかなボール」の清水善造氏が世界的プレイヤーとして有名ですが。1980年のセンバツに出場が決定した時、中曽根康弘氏がテレビのインタビューで母校の甲子園出場について聞かれた際、「一国の大臣が騒ぐほどの問題では無い。」と答えていましたが嬉しさは隠しきれずに顔はニヤついていました。寄付金集めに奔走したようです。この一年後に総理大臣になっています。思えばあの頃の大臣と言えば、皆さんそれなりの人物だったと思うのですが、最近のはスケール的には10分の1以下に成り下がったようです。

 群馬県高崎市は文化都市として知られています。日本初の市民交響楽団「群響」の草創期を描いた映画「ここに泉あり」は、さしずめ音楽版「職業野球!実況中継」とも言える名作です。こちらは迷作ですが。




*三輪八郎の初登板。決勝点を奪われたのは御園生崇男であるが三輪に敗戦投手が記録されている。





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