2011年8月5日金曜日

14年 名古屋vsセネタース 1回戦

3月31日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 1 1 3 名古屋     3勝4敗1分 0.429 村松幸雄
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 セネタース 5勝2敗       0.714 野口二郎 金子裕


勝利投手 村松幸雄 1勝0敗
敗戦投手 野口二郎 1勝2敗


二塁打 (名)鈴木、大沢
三塁打 (名)加藤

村松幸雄、プロ入り初先発初完封!

 

 名古屋先発は掛川中学出身のルーキー村松幸雄、セネタース先発は中京商業出身のルーキー野口二郎。注目の一戦である。

 名古屋は3回まで村瀬一三の右前打、加藤正二の三塁内野安打、鈴木秀雄の左翼線二塁打と毎回1安打ずつを放つが無得点。一方、セネタースも初回に北浦三男が左翼線にヒットを放ったのみで2回、3回は三者凡退に抑えられて無得点。

 名古屋は4回、先頭の加藤正二が右中間に三塁打、大沢清が得意の右打ちを決めて右前に先制タイムリー、1-0とする。

 セネタースは4回、先頭の家村相太郎が左前打で出塁するが続く北浦三男は送りバント失敗の捕邪飛、尾茂田叶の投ゴロは1-4-3と渡ってダブルプレー。5回も先頭の佐藤武夫が左翼線にヒットを放つが青木幸造の二直に飛び出しダブルプレー、直後に野口二郎が中前打を放つが柳鶴震は一邪飛に倒れる。

 名古屋は5回は三者凡退。6回、一死後桝嘉一が四球を選び加藤三振後、大沢が右翼に二塁打を放って二死二三塁、しかし芳賀直一は三ゴロに倒れる。7回、二死後村松幸雄が右前打を放つがトップに返り鈴木は一ゴロに倒れる。

 セネタースは6回三者凡退。7回は先頭の北浦が四球を選ぶが続く尾茂田の投前送りバントを村松が二塁に送球して北浦を刺し、佐藤二飛、青木一飛と後続無く無得点。

 名古屋は8回、先頭の村瀬が四球を選んで出塁、二死後大沢が三度右翼に快打を放ち村瀬は三塁に進んで二死一三塁、芳賀の遊ゴロをショート柳が失する間に村瀬が還って2-0とリードを広げる。

 セネタースは8回、野口に代わる代打金子裕は三ゴロ、柳右飛、横沢七郎三振で無得点が続く。金子はそのままマウンドに向かう。

 名古屋は9回、先頭の服部受弘の遊ゴロを又も柳がエラー、村松が送りバントを決めて一死二塁、鈴木の投ゴロを金子が一塁に悪送球して一死一三塁、村瀬四球で一死満塁、桝が左前に落として1点追加、3-0とする。

 セネタースは最終回、先頭の苅田久徳が中前打で出塁、家村の三ゴロで苅田は二封、北浦の二ゴロが村瀬-芳賀-中村三郎と渡ってダブルプレー、試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 投手としては初出場となる村松幸雄は5安打1四球3三振でプロ入り初先発を初完封で飾る。野口二郎は8回を投げて8安打2四球5三振であった。


 翌日の読売新聞は「中等野球界に名声を馳せた中京出身の剛速球野口と掛川中学卒業の快速球村松の対時に、降りしきる春雨もものかはとこの日白眉の試合の幕は切って落とされた。この両鳳雛(「ほうすう」。三国時代、司馬徽が蜀の龐統(ほうとう)を鳳凰の雛(ひな)にたとえたことから、将来大人物となることが期待される優秀な少年を意味する、そうです。)は互いに投球特徴があり、野口が剛球極まりなき直球をびしびしと極めつけて名軍打者の手許に喰い込ませ一転して外角を物凄く衝く速球に打者の虚を狙えば、村松は見るからに歯切れのよき軽快速球を自由自在に操ってセ軍打者をよく押え雨中観戦のファンを感嘆せしむる絶好の投手戦を展開した。」と伝えている。両投手の球質に言及しているこの鈴木惣太郎の論評は、野球史研究の上で大いに参考になります。




*村松幸雄は初登板を完封で飾る。村松を伝える唯一の書籍「戦場に散ったエース 投手・村松幸雄の生涯」によると、この試合の後、地元掛川では「澤村みたいな大投手になる」との噂でもちきりだったそうです。


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