7月15日 (金) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 阪急 21勝12敗 0.636 重松通雄 小田野柏
0 0 1 1 0 0 0 0 0 2 ライオン 8勝25敗 0.242 近藤久
勝利投手 小田野柏 3勝2敗
敗戦投手 近藤久 1勝5敗
キヨ野上清光、殊勲の逆転タイムリー
ライオンは3回、一死後日野弘美が左中間に三塁打、アテ馬として実質デビューを飾った日野にとって初の長打となる。続く近藤久が中前にタイムリーを放って1点を先制する。
阪急は4回、この回先頭の黒田健吾が四球で出塁、パスボールで二進、ジミー堀尾文人が中前にヒットを放ち盗塁、宮武三郎四球で無死満塁、キヨ野上清光が右前に2点タイムリーを放って2-1と逆転に成功、野上はキャッチャー日野の牽制に刺されるが島本義文が中前にタイムリーを放って宮武を迎え入れて3-1とする。
ライオンは4回裏、大友一明が三前に内野安打、煤孫伝は一邪飛に倒れるが、桜井七之助の三ゴロをサード黒田がエラー、中野隆雄左前打で一死満塁、阪急ベンチは先発の重松通雄をあきらめ小田野柏を投入、日野の投ゴロで三走大友が還って2-3と詰め寄る。
小田野は5回に水谷則一に三塁への内野安打を許した以降は6~9回を無安打ピッチング、結局5回3分の2を投げて1安打無四球1三振の好投で3勝目をあげる。
近藤久も6回以降阪急打線を無安打に抑えるが球運なく今季1勝5敗、しかしこのところ復調してきた。
殊勲の逆転タイムリーを放ったキヨ野上清光は球史にほとんどその名は残っていない。永田陽一氏著「ベースボールの社会史」で紹介されている記述が最も詳しいであろう。著者の永田氏が戦後直接取材されているようだ。カリフォルニア州アラメダ出身。カリフォルニアはシアトル、シカゴと並んで1900年代初頭から最も日系人野球が盛んであった。野上の父親もアラメダ体育会のベースボールプレーヤー、1914年生まれの野上は1937年にカリフォルニア大学を卒業、日本に日本語の勉強でやってきたところを三宅大輔に誘われて阪急に入団して主力選手となった。大変な勉強家で今季限りでユニフォームを脱ぎ実業界に転じた。日系二世と言うことで軍隊では大変苦労させられたようであるが戦後は事業に成功したとのこと。この項の記述は当然のことながら「ベースボールの社会史」を参考(というよりほとんど丸写し)にさせていただきました。
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