2011年2月27日日曜日

13年春 阪急vsイーグルス 5回戦

7月17日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 阪急     21勝13敗1分 0.618 石田光彦
0 0 0 1 0 0 0 0 1 2 イーグルス 18勝15敗2分 0.545 亀田忠


二塁打 (阪)堀尾
本塁打 (イ)ハリス 5号、6号


バッキー・ハリス、逆転ホームランキング


 阪急は初回、西村正夫、フランク山田伝が連続四球、黒田健吾三振、ジミー堀尾文人の打席で西村が三盗に成功、一走山田は走っていないのでサインではなく西村の判断であろう。堀尾が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 イーグルスは1回裏、先頭の寺内一隆が右前打で出塁、野村実が送って一死二塁とするが中根之は左飛、バッキー・ハリスは投ゴロに倒れる。2回、二死から寺内、野村が連続四球、しかし中根は二ゴロに倒れて無得点。

 イーグルスは4回、この回先頭のハリスが「左翼スタンドにライナーで飛込む物凄い大本塁打」(読売の記述通り)を放って1-1の同点とする。

 阪急は7回、この回先頭の黒田の三ゴロをサード漆原進がエラー、堀尾が左翼線に二塁打を放って無死二三塁、宮武三郎に代わる代打山下好一四球で無死満塁、キヨ野上清光の打席で亀田忠がワイルドピッチを犯して2-1とリードする。

 イーグルスは9回、この回先頭のハリスが左翼スタンドにホームランを放ち2-2の同点、本日は一日4試合の豪華版、第四試合にタイガースvsジャイアンツ戦を控えており9回時間切れ引分けとなった。

 石田光彦は9回を3安打5四球2三振の好投を見せるが3本のヒットの内ハリスに打たれた2本塁打が致命傷となった。一方亀田忠は11安打8四球2暴投2三振と相変わらずのピッチングであったが再三のピンチを凌いで引分けに持ち込んだ。阪急の残塁は16を数えた。

 バッキー・ハリスは最終二試合で4本塁打を放ち苅田久徳の5本を抜いて本塁打王に輝いた。ここで7月14日の阪急戦を思い出してもらいたい。この試合でハリスは山田伝の3個を始め阪急に6個の盗塁を許し捕逸も犯している。一日置いて二試合連続ホームラン、この豹変ぶりについて苅田久徳の自伝「天才内野手の誕生」によると、「当時31歳だったハリスは子宝に恵まれなかった。それがロサンゼルスから「ブジシュッサン」の電報を受け取って、躍り上がって喜んだ。そのハッスル余波が、キング獲得となったのだ。」とのことである。

(2011年3月9日追記)
 昭和13年9月5日付け読売新聞は宇野庄治記者の署名入り記事で9月4日秋季リーグ戦ライオンvsイーグルス戦でのバッキー・ハリスのホームランについて「この朝帰米中の愛妻から安産の電報に接して欣喜雀躍のハリスだ、果然、ハリスは1ストライク後真ん中に落ちるドロップを憂然左中間スタンドに叩き込み・・・」と伝えている。どうやら苅田の記憶違いのようである。


 四コーナー最後方から直線一気の追い込みを見せたバッキー・ハリス。直線一気の追い込みと言えば古くはコウジョウ、有名どころではミスターシービーとなりますが矢張りシービークロスでしょう。5才(当時、現4才)秋の毎日王冠と目黒記念を豪快な追い込みで連続レコード勝ちしたときは鳥肌が立ちました。但し当ブログ的にはナカミサファイヤとなります。オークスでは本命アグネスレディー対抗ナカミサファイヤで大的中、馬体減りが懸念される中猛調教を行い評論家はこぞって無印にしていましたが当ブログの評価は真逆、これだけの追い切りができれば心配なしと判断しました。この時の配当金でミズノの最高級グローブを買いました。新潟記念の奇跡的追い込みはユーチューブで見ることができます。

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