2011年2月5日土曜日

13年春 セネタースvs金鯱 4回戦

6月27日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
2 0 0 0 0 0 0 0 1  3  セネタース 10勝15敗1分 0.400 金子裕 伊藤次郎
3 1 0 3 1 1 1 0 X 10 金鯱            9勝17敗       0.346 古谷倉之助 中山正嘉


勝利投手 古谷倉之助 3勝6敗
敗戦投手 金子裕        4勝5敗
セーブ   中山正嘉   2


二塁打 (セ)伊藤 (金)五味、中山
三塁打 (金)佐々木
本塁打 (金)五味 2号


五味芳夫、本塁打と本盗


 セネタースは初回、先頭の苅田久徳が四球で出塁するが盗塁に失敗、しかし伊藤次郎が右中間に二塁打、二死後尾茂田叶四球、綿貫惣司が中越えに三塁打を放って2点を先制する。

 金鯱は1回裏、先頭の五味芳夫が右翼線に二塁打、江口行男の三前送りバントが野選を誘い、瀬井清四球で無死満塁、小林茂太の遊ゴロをショート磯野政次が失する間に五味と江口が還り2-2の同点、小林茂には1打点が記録される。古谷倉之助が送って一死二三塁、中山正嘉の三ゴロの間に瀬井が還って3-2と逆転する。更に2回、二死から五味が左中間に本塁打を放って4-2とする。翌日の読売新聞の記載は「二回には五味の本塁打」だけでオーバーフェンスかランニングホームランかは不明。

 金鯱は4回、この回先頭の岡田源三郎監督が中前打で出塁、佐々木常助が送って一死二塁、トップに返り五味の二ゴロで二走岡田御大は当然三塁に走る。セカンド苅田は三塁に送球、しかし岡田御大の足が一瞬早くフィルダーズチョイスとなって一死一三塁、名手苅田も岡田御大の必死の走塁に一瞬力を緩めたか。江口が右前にタイムリーを放ち5-2としてなお一死一三塁、ここでダブルスチールを決めて6-2、五味はこの試合で本塁打と本盗を記録する。更に瀬井が中前にタイムリーを放って7-2とする。

 金鯱は5回、古谷左前打、中山右翼線二塁打、岡野八郎の三遊間のゴロをショート磯野は三塁に送球するがセーフ、記録は野選となって無死満塁、岡田源三郎監督が左犠飛を打ち上げて8-2、続く6回、この回先頭の江口が左前打から盗塁、キャッチャー北浦三男の悪送球で三進、瀬井の遊ゴロをショート磯野が弾き一三塁、二死後中山の右飛をライト家村相太郎が失して9-2、更に7回、佐々木の中越え三塁打と五味の中犠飛で10-2とする。

 古谷倉之助は6回まで4安打6四球で初回の2点だけに抑えて降板、7回からレフトに入っていた中山正嘉がマウンドに上がり、最終回に3四球と尾茂田叶の右犠飛で1点を失うが大勢に影響は無く金鯱が快勝。五味芳夫、江口行男の一二番コンビが3得点ずつを記録する。

 2回の五味芳夫のホームランがオーバーフェンスかランニングホームランかは謎です。五味は甲府中学時代甲子園で1試合5盗塁を記録した快足ランナー、通算1,345打数で4本塁打ですから、両翼110メートル、左中間と右中間は膨らみを持った構造で昭和9年に来日したベーブ・ルースですら「甲子園ではホームランは出ない」と降参した球場ではランニングホームランの可能性の方が高いのではないかと思われますが真実は判りません。甲府中学と言えば「ジャップ・ミカド」三神吾朗の出身校でもあります。三神吾朗が「ジャップ・ミカド」のうちの一人であった可能性はありますが、オール・ネイションズでプレーした複数の日本人(むしろ黄色人種に拡大解釈しておいた方がより正確かもしれませんが)の呼称が「ジャップ・ミカド」であったという説が有力となってきていますがこの謎もまだ解けてはいません(2011年1月28日付けスポニチ裏一面参照)。

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