2015年8月23日日曜日

50年




 高校野球は100年ですが、筆者が見てきた高校野球は今年で50年となりました。小学校1年生時代の1965年、銚子商業が準優勝した第47回全国高等学校野球選手権大会が最初の甲子園です。まだ「野球」を見ていた訳ではなく、千葉県市川市の小学校1年生は銚子商業の阿天坊に魅せられていました。以来、この目で見てきたベストメンバーを選んでみましょう。


投手:江川(作新) 江川以上の衝撃を受けることは金輪際あり得ないでしょう。江川の名前を初めて知ったのは彼が高1の秋の関東大会です。スポーツ紙にデカデカと紹介されていた記事を、中学1年生の筆者が東西線で隣の人が読んでいた新聞を覗きこんでいたら、その方が電車を降りる時に「見るか」と言って置いていってくれたのです。当時やっていたサイコロ野球の「高校選抜チーム」ではエースが1年上の成東の鈴木孝政、準エースが江川と、甲子園に出ていない二人を二本柱にしていました。3年春のセンバツに出てきた時は、テレビに映るブルペンのピッチングを見て驚き、三振を繰り返す北陽の打者が初めてファウルチップした時のどよめきもリアルタイムで聞いていました。

 次点候補は成東の鈴木孝政、横浜の永川、長崎海星の酒井、鹿児島商業の堂園、享栄の近藤、東亜学園の川島などが考えられますが、桐光学園の松井裕樹としておきます。球のキレという点では、江川より上だったかもしれません。


捕手:堀場(丸子実業) キャッチャー三羽烏を選べば丸子実業の堀場、東邦の山倉、江の川の谷繁で決まりでしょう。その次が新居浜商業の続木、印旛の月山、光星学院の田村でしょうか。話題性では浪商の香川もありますが、甲子園で評判になったキャッチャーと言えば、堀場、山倉、谷繁となります。次点は山倉ですね。東邦高校時代は毎試合3安打打ってた印象です。


一塁手:阿久沢(桐生) その素質は王以上とも言われました。高校卒業後は群馬大学準硬式野球部に進み、筆者も試合をやったことがあります。次点候補は広島商業の楠原、天理のマックス佐藤、PLの清原もいますが、早実の清宮とさせていただきます。阿久沢を抜くかもしれませんね(笑)。

二塁手:中村孝(鹿児島実業) 昭和49年夏の甲子園準々決勝、東海大相模との激闘は延長15回、鹿実が勝利しましたが、延長12回裏に抜けたらサヨナラの場面で見せた中村孝のダイビングキャッチは「甲子園史上最高のファインプレー」と言われています。次点候補は広島商業の川本、早実の小沢となります。異例ではありますが、次点は川本、小沢の二人とさせていただきます。お二人とも早逝されました。

三塁手:篠塚(銚子商業) 昭和50年甲子園優勝の時は2年生でした。小柄ながらホームランも打つスラッガーでしたが、三塁線の打球に飛び込む守備が印象的でした。巨人では二塁手となりましたが、銚子商業時代は三塁手でした。次点は東海大相模の原で決まりでしょう。筆者と同年代で、目の前で保土ヶ谷球場の左中間スタンド中段に叩き込んだホームランを見たことがあります。次々点は銚子商業の磯村、高知商業の明神、鹿児島実業の内之倉とさせていただきます。

遊撃手:阿天坊(銚子商業) 筆者の野球の原点です。小学校1年生で阿天坊を知らなければ、間違いなく違った人生を歩んでいたはずです。当ブログのアクセス数No1も2011年1月31日付けブログ「木樽と言えば阿天坊」です。光栄なことに、「Wikipedia」の「阿天坊俊明」の項でも当ブログが「脚注」に紹介されています。

 次点候補は数多くいます。習志野のショートだった掛布は昭和48年にハワイ選抜チームと対戦した千葉県選抜チームではセカンドをやっていました。筆者と同学年の3人、東洋大姫路の弓岡、静岡商業の久保寺、銚子商業の宇野。フィールディングでは弓岡、総合力では久保寺、長打力では宇野でしたね。宇野の2年時は1年上の篠塚と三遊間を組んでいました。プロでタイトル(篠塚:首位打者、宇野:本塁打王)を獲得した三遊間コンビは、高校野球史上「サード篠塚、ショート宇野」のコンビだけです。天理の鈴木康友、上宮の元木、大阪桐蔭の浅村、東海大甲府の渡邉も候補ですが、次点は掛布とします。


外野手:藤王(東邦)、植松(静岡)、吉近(津久見) 打撃センスでは藤王が歴代No1ではないでしょうか。植松、水野、白鳥のクリーンアップトリオは公立高校史上最強でしょう。昭和47年の甲子園では1回戦を勝った時点で「津久見優勝!」と予想して的中させました。太平洋に行った中川と共に、吉近の強打が目を引きましたね。

 次点候補は、外野で使いたい池田の水野、済美の鵜久森、PLの福留、これ又外野で使いたい花巻東の大谷というところですが、「打者大谷」を次点にさせていただきます。


 

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