2015年8月17日月曜日

史上2回目



 ベスト4は東日本が独占、これは夏の甲子園史上2回目のこととなります。


 前回は2009年ですが、中身が随分違います。2009年は県岐阜商、日本文理、花巻東、中京大中京と、東日本では関西に最も近い東海地区から2校と信越、東北でした。今回は関東が3校と東北が1校、東京は東西とも残りました。東京一極集中の経済状況の影響をストレートに受けています。


 かつては関西が強い時代もありました。ベスト4の独占は1921(大正10)年、1923(大正12)年、1929(昭和4)年、1972(昭和47)年、1990(平成2)年、1991(平成3)年と、6回もベスト4を関西勢が独占していた時代があったのです(注:1921年は西日本が3校と海外(大連商業)が1校、1929年は西日本が3校と海外(台北一中)が1校。)。「高校野球は西のもの」と言われていた時代でした。


 10年毎のベスト4進出校を関東、関西で見てみると、

 1950年代:東14校 西26校
 1960年代:東15校 西25校
 1970年代:東14校 西26校
 1980年代:東16校 西24校
 1990年代:東12校 西28校


ところが、

 2000年代:東21校 西19校
 2010年代:東15校 西 9校


となっており、21世紀になって東日本の優勢となってきたことが如実に現れています。2010年代の15校のうち、東北勢が延べ4校を占めているのも特徴的です。


 東北勢は、1910年代以来の優勢となっています。1915年の第1回から1919年の第5回大会までのベスト4は西日本9校、東日本7校(第4回大会は米騒動のため中止となっているのでサンプルは4年分となる)、東日本の7校のうち東北勢は第1回大会の秋田中学、第3回と第5回の盛岡中学と、延べ3校がベスト4に進出していたのです。東北は全国有数の強豪地域でした。


 今年は例年以上に東北勢の強さが目に付きます。3回戦、準々決勝と星のつぶし合いがあったので仙台育英しか上がってきませんでしたが、1989年(仙台育英、秋田経法大付)、2013年(日大山形、花巻東)以来となる2校進出があってもおかしくない状況でした。NHKに寄せられるファンの声援も、日増しに「東北に優勝旗を」との声が増えてきました。



 紫紺の優勝旗又は深紅の大優勝旗が白河の関を渡るのは、時代の要請となっているのです。


 

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