2014年5月18日日曜日

16年 阪神vs大洋 10回戦


10月2日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 4 0 1 0 0 0 5 阪神 30勝33敗 0.476 若林忠志
0 1 1 0 0 0 0 0 0 2 大洋 38勝25敗1分 0.603 野口二郎 三富恒雄

勝利投手 若林忠志 13勝13敗
敗戦投手 野口二郎 20勝8敗

二塁打 (神)松下、皆川

勝利打点 村瀬一三 1


若林忠志、4回以降無安打ピッチング

 大洋は2回、先頭の野口二郎が三塁に内野安打、石井豊が送り、山川喜作は四球を選んで一死一二塁、村松長太郎の投ゴロを若林忠志は三塁に送球して二走野口二郎は三封、二死一二塁から佐藤武夫が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。 

 大洋は2回、一死後濃人渉がバントヒット、森田実の右前打で一死一三塁、野口二郎の右犠飛で2-0とする。

 大洋先発の野口二郎に3回まで一人の走者も出せなかった阪神は4回、先頭の宮崎剛が左前にチーム初ヒット、森国五郎の遊ゴロで宮崎は二封、カイザー田中義雄の右前打で一死一二塁、松下繁二のレフト線二塁打で1-2、松木謙治郎は浅い右飛に倒れて二死二三塁、若林忠志が四球を選んで二死満塁、上田正が中前に同点タイムリーを放って2-2、村瀬一三が押出し四球を選んで3-2と逆転、皆川定之の三塁内野安打で1点追加して4-2とする。

 阪神は6回、一死後上田の遊ゴロをショート濃人がエラー、村瀬は遊飛に倒れるが皆川の右翼線二塁打で一走上田がホームに還り5-2とリードを広げる。

 大洋は7回の守りから野口二郎を下げて二番手として三富恒雄をマウンドに送り、三富は9回まで無失点で切り抜ける。


 阪神先発の若林忠志は2回、3回と2安打ずつを許して2失点であったが、4回以降は四球と遊失の二走者を出したのみで無安打ピッチング。結局、4安打2四球5三振の完投で13勝目をあげる。

 野口二郎は3回まで三者凡退を続けた。しかも9個のアウトのうちフライアウトが8個でその内内野フライが3個と阪神打線を寄せ付けなかったが4回に突然崩れた。大洋はこの日も苅田久徳現場監督が出場しておらず、チーム内の不協和音が徐々に成績の低下につながってきている。野口二郎も少しやる気をなくしてきているのでしょうか。


 村瀬一三が阪神に移籍後初打点を記録してこれが勝利打点となった。昭和16年9月25日付け読売新聞は「村瀬、阪神軍へ」の小見出しと共に「前名古屋軍内野手村瀬一三選手(二四)は24日阪神軍に移籍、聯盟へ登録された(背番号は2)」と伝えている。村瀬は9月27日の朝日戦に七番サードでスタメン出場、28日の南海戦、この日の大洋戦は八番サードで出場し、3試合とも三塁手としてフル出場している。阪神内野陣はセカンドの宮崎剛とショートの皆川定之は盤石であるがサードの野口昇がウィークポイントであった。名古屋ではシーズン途中に小西得郎監督が退団し、村瀬一三も行動を共にして燻ぶっていたところ、サードの弱点を補強しなければならない阪神と利害が一致したのである。したがって、「Wikipedia」に書かれている「遊撃手に皆川定之がいたため控えに回った」という記述(2014年5月18日現在)は誤りである。松木謙治郎著「タイガースの生いたち」に「遊撃に皆川がいたため三塁にまわった」と書かれているので誤解があるようですが、事実は当ブログ記載のとおりです。











 

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