2014年5月8日木曜日

世界野球史上唯一無二の記録




 昭和16年9月28日、四番ピッチャーとして出場した黒鷲の中河美芳が勝利投手となり一旦ファーストに回って再びマウンドに上がり形式的にはセーブも記録、4打数3安打で猛打賞を獲得し、決勝打を放って勝利打点も記録しました。日本でセーブが導入された1974年時点では同一試合で勝利投手とセーブが記録されており、実際、1974年8月18日の近鉄戦で日ハムの高橋直樹が同一試合で勝利投手とセーブを記録しました。翌年からルールが改正されたので公式記録として同一試合で勝利投手とセーブが記録されたのは高橋直樹のケースだけです。


 四番、先発投手、勝利投手、形式的なセーブ、勝利打点、猛打賞を同一試合で記録したのは、世界野球史上この試合の中河美芳が唯一無二でしょう。


 中河美芳はこのシーズンを最後に志願兵として戦場に赴き、戦死することとなります。「志願兵として」と言うより、「志願兵に追い込まれた」という方が表現が正確でしょう。当時のプロ野球選手の多くは兵役延長のため大学に籍を置いていましたが、当然軍部に睨まれます。そのターゲットとなったのが当代随一の人気選手であった中河美芳で、中河は常に憲兵隊にマークされていたと言われています。



 中河美芳は「タコ足」と言われた一塁守備の名手として1986年に野球殿堂入りしますが、中河伝説は「タコ足」だけではなく、この試合で記録した「世界野球史上唯一無二の記録」にあったのです。





 

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